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長崎市内2日目:軍艦島2

軍艦島が見えたとこから・・・

全容がわかる距離まで近づいてきた。

P1010141.jpg

おや?
別の上陸ツアー船がまだ停泊中。

1番高い建物は《真水用給水タンク》で、真水は給水船が運んできた。端島には涌水はなかったため、貯水はたびたび枯渇した。

左横の大きな住宅は、大正5年に建設された日本初の鉄筋コンクリート造高層住宅で鉱員社宅(のちに下請け業者の飯場)30号棟(閉山時には下請飯場)。当初は4階建てであったが、完成後まもなく7階建てに増築した。ここは上陸時に近くに行くので後述。

※鉱員社宅=いわゆる炭鉱夫の社宅。

その左横に《二抗口の巻き上げ槽》がみえる。
作業員はここから海底の採掘場へ下っていった。

P1010151.jpg

「では、島を一周しましょう」とガイド氏。

「島はこんな感じデスね」

停泊中の船がいる桟橋が昭和37年に完成(のちに補強)した3代目《ドルフィン桟橋》で、島の南島の端に位置する。

600px-Nagasaki_Hashima_map_ja.png

地図でいうと逆時計回りで一周するようだ。


島で唯一、集合住宅では内風呂付き住居だった幹部職員用社宅3号棟。昭和34年建築のRC造4階建て(全20戸)。入居条件は課長級以上または医師。間取りは8畳+6畳2間+台所+内風呂(70cm四方と小さい)。岩山の山頂に立つため見晴らしがいい(この建物の裏=北西に、鉱員社宅が林立している)。

3号棟の左に昭和25年建築の5号棟《鉱長社宅》木造2階建て内風呂付きがあったが全壊。間取りは8畳2間+6畳2間+応接室+内トイレ+内風呂(+サンルーム)と豪華。

3号棟の右には昭和25年建築の2号棟職員社宅RC造3階建て半地下付き9戸。間取りは6畳2間+2畳+台所+内トイレ。外廊下ではなく縦の階段を各2戸が使う方式で建てられたため、プライバシーが守られた。半地下には消防器具置き場があり、防火対策のため各戸の玄関は鉄扉を採用している。

3号棟の真下、山の中腹に《緑道》と呼ばれた歩道が通っている。桟橋のすぐ左横にトンネルがあり、これが30号棟までつながっている。30号棟下で地上に出て、そのまま島の北東に集中する団地軍や学校に通じていた。

さらにその下は《貯炭場》。
堤防の海側に《積込桟橋》の土台が残っている。

P1010152.jpg


昭和20年に建てられた鉱員社宅65号棟。通称《報国寮》。

コの字型になっておりRC造9階建て地下1階(端島で最大の大型社宅)。北側の旧棟の屋上階(黄色っぽい階)は昭和28年に創設された保育園になっている(コの字の空間は児童公園)。この65棟は第二次世界大戦中でも建設が進められた。

竣工時は北側の棟のみ7階建てだったが、のちに8〜9階(南側の新棟10階建)を増築して317戸に膨らんだ。南側の建て増し棟には各戸に水洗トイレが完備された(他は共同トイレ)。部屋は基本6畳2間+台所。

1階に歯科医院、消防分室、労組組合事務所、閉会所(変圧室)など。地下には穀物倉庫や理容美容室、製氷室、LPG室がある。
エレベーターはないが4階と9階が緑道につながっている。

その奥が昭和14年建築の職員用社宅56号棟でRC造3階建て6戸。1階に雑貨商店、2階は商店主住宅、3階が職員住宅だった(V字型に隣接する57号棟も同様)。6畳3間+台所+内便所という広さ。端島神社が真上に見えることから「宮ノ下住宅」と呼ばれた。

左の祠は昭和11年建築の1号棟《端島神社》RC造+木造。拝殿は木造で全壊しているが本殿と境内の枠組みは残っている。ご本尊は金比羅様と(炭鉱の神)大山祇神の合祀。島民のデートコースだったらしい。

手前の横長の建物は《資材倉庫》で、その左横のレンガ造りの建物は消化タンク。

P1010314.jpg


左手前が資材倉庫、その後ろが職員用社宅56号棟。その右横(中央部の奥)が鉱員社宅65号棟

65号棟の手前の鉄骨の円形廃墟は、昭和45年建築の                                                                                                                                                                     71号棟《端島小中学校体育館》で、1階が武道場・給食室、2階が体育館だった。この体育館で閉島式が行われた。

その右隣(やや手前に突き出ていつ建物)は昭和33年に建てられた70号棟《端島小中学校》でRC造6階建て+屋上に鉄骨1階を増築。明治26年に三菱社の社立小学校として発足している。

小学校は1〜4階、中学校は5階と7階、6階には講堂、図書室、音楽室がある。閉山間際の昭和45年、70号棟西側に給食配膳用エレベーターが設置された(島内唯一のエレベーター)。

学校の右端の低い建物は69号棟《高島鉱業所端島病院》で昭和33年に建てられたRC造4階建て。その左隣に68号棟に高島鉱業所端島病院隔離病棟がある(昭和33年、RC造2階建て)。

P1010316.jpg


いままでの景色を遠景から・・・

P1010156.jpg


昭和33年建築の70号棟《端島小中学校》と65号棟。4階建ての69号棟(端島病院)。L字の広場はグランドとテニスコート。

P1010169.jpg

病院では、戦前は主に赤痢等の伝染病治療(汚物浄化槽設置後は激減)、戦後は塵肺治療や負傷者の外科治療を行った。

地下:薬保存庫
1階:診察室、治療室、手術室、レントゲン室、調剤室など。
2階:分娩室、治療室など。
3階:院長室、入浴場、付き添い婦室、病室など。
4階:医師と看護婦の宿泊所

68号棟(高島鉱業所端島病院隔離病棟)は1階が狭い入浴室、2階が病室。隔離病棟と堤防の間に霊安室があったらしい。遺体は端島の北東500mにある中之島の火葬場に運んだ。

島の北東(先端)に来た。

低い建物は小学校教員用住宅《ちどり荘》で昭和33年に木造で建てられたが、RC造2階建てに改築された。メゾネット式で6戸。右隣は69号棟(端島病院)。

P1010178.jpg

病院をアップしてみた。

P1010180.jpg



いよいよ・・・鉱員社宅群がみえる。
(右端の白い低い建物が、68号棟に高島鉱業所端島病院隔離病棟)

P1010181.jpg


づづく。


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