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スペイン8:バルセロナ(305cm榴弾砲)

1779年、モンジュイックの丘に要塞として築かれたモンジェイック城(原型は1640年)に、「28サンチ砲(二十八珊砲/二十八糎砲)がある」という噂を聞きつけたので、長い昼休み時間に行ってきた。

28サンチ砲(二十八珊砲)とは…

日露戦争に実戦投入された砲。

1884年(明治17年)、大日本帝国陸軍の大阪砲兵工廠が、ドイツのクルップ社の榴弾砲を原型とした「イタリア式28cm榴弾砲」を参考に試製した「国産」の榴弾砲。射程距離は約7,900mで1887年より量産に入った。東京湾や広島の海岸に、海からの攻撃に備えた「沿岸砲」として配備した。

さて…日露戦争時、大日本帝国陸軍(満州軍所属第三軍)は、旅順港を見渡せる旅順要塞(東鶏冠山北堡塁や松樹山保塁など)に籠もってなかなか出てこないロシア軍に手を焼いていた。大本営も満州軍も海軍も旅順要塞を甘く見ていた経緯もある。

第一回総攻撃(明治37年8月19日〜24日):満州軍所属第三軍は、旅順要塞主防御線の外側に位置していた203高地に進軍する。目標設定は「東鶏冠山保塁」。ロシア軍は強固な堡塁からロシア兵を逐次投入したため大激戦になり撤退した。

当時、旅順要塞に籠もっていたロシア兵はおよそ44,000名+軍属他7,000名+(先の黄海海戦で戦力喪失の)海軍将兵12,000名。対する日本軍は約51,000名。日本軍のは戦死5,017名/負傷10,843名。ロシア軍は戦死1,500名/負傷4,500名だった。

第一回総攻撃に失敗した現場の要望に応えて、東京湾要塞および芸予要塞にある巨大な沿岸砲の28サンチ砲(二十八珊砲)の戦線投入を決定する。

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米ヶ浜砲台6門(横須賀市)と箱崎高砲台8門(横須賀市)の14門、更に芸予(広島県・大久野島)の4門を追加して、最終的に(第三回総攻撃までに)18門。なお砲弾のストックは潤沢にあったため、新たに作らなくても良いメリットもあった。

9月14日、まず6門を旅順要塞攻略のため(コンクリート天蓋陣地内の敵兵員を制圧させる目的)、王家旬子・團山子・鄧家屯諸砲台へ2門ずつ配備。重砲兵は砲床構築を9日で完成させ(通常は三週間)設置完了は9月22日。砲台の工事は基本的な土木工法と併用して、ショックを和らげるため、大ぶりの角材を敷き詰めていた。残る12門は碾盤溝・石板溝・叢家荀子南方高地へそれぞれ4門ずつ配備した。

第一回総攻撃終了後の9月30日。占領した南山披山を観測点として、28サンチ砲を用いて旧市街地と港湾部に対して砲撃を開始。旅順港内に停泊しているロシア海軍旅順艦隊(第1太平洋艦隊)に命中弾を与え損害をもたらしたが、そもそも先の黄海海戦の負けで戦力喪失していたため、ロシア軍の士気に与える影響は少なかったらしい。

だが28サンチ砲を配備した第二回総攻撃(明治37年10月26日〜30日)。目標は「盤竜山及び竜眼北方保塁の周辺を占領」だったが失敗に終わる。

そして第三回総攻撃(明治37年11月26日〜12月6日)。11月14日の御前会議で「203高地主功」を定めたのに、満州軍総司令官大山巌元帥は拒否。兵力を増強して目標は「東鶏冠山北堡塁と二竜山堡塁の確保」。

これも失敗に終わろうとしていた11月14日。203高地主攻に固執する参謀本部と第3軍司令官乃木希典の主張どおり「203高地主攻」が決定。だが頼みの28サンチ砲は203高地の泥に刺さるだけで効果は少なかった。

12月1日から3日間で、攻撃部隊の再編、12センチ榴弾砲15門と9センチ臼砲12門の陣地変換を行う(司馬遼太郎はいづれも満州軍総参謀長児玉源太郎の発案と書いているが間違い)。

12月4日早朝、砲術には素人の児玉源太郎の指導(諸説あり)で「24時間15分間隔」で203高地に援護射撃を加えた。ただし28サンチ砲は後方陣地にいて203高地攻撃に直接寄与しておらず、主に集中砲撃を行ったのは12センチ榴弾砲と9センチ臼砲の十数門だった。それでも28サンチ砲が12月5〜9日の5日間に打ち込んだ砲弾は約1,250発(命中弾は158発)。

この集中火砲は、防備が未成な203高地(ロシア名:ヴィシソースカヤ山)にこだわるロシア軍に大打撃を与えた。ロシア軍は死守するために、旅順要塞に籠もっていた予備兵力もロシア海軍旅順艦隊の水兵も投入したが、12月5日の深夜に日本軍は203高地を完全占領した。

ロシア軍は「ドイツのクルップ社の榴弾砲」を原型とした28サンチ砲を使っていた。ロシア陣地の黄金山砲台にある28サンチ砲はほぼ同じ規格の砲弾を使っていたため、日本軍が打ち込んだ不発弾をロシア軍が拾い、47mm速射砲用信管を付けて撃ち返していた。

ロシア海軍は、203高地の戦いで兵を持って行かれ極端な兵力不足になったため戦いにならず。旅順湾に停泊するロシア海軍旅順艦隊(第1太平洋艦隊)はほとんどが自沈して全滅した。

実は28サンチ砲の信管は「経年劣化」で戦艦に対する破壊力はさほど出ておらず、打ち込んだ砲弾は船底を突き破る事はできなかった。戦艦ペレスウェートに命中した28サンチ弾の27発のうち、不発が11発・はじき飛ばされたのが2発・残りが炸裂という具合。ただし威嚇的な意味での砲弾を降らせることには成功している。

203高地を完全制圧され「兵員不足」で、旅順要塞の守備もままならないロシア軍。

12月10日、東鶏冠山北堡塁への総攻撃を開始。12日、日本軍が打ち込んだ28サンチ砲弾は堡塁の厚さ60cmのコンクリートを突き破り、運悪く「勲章授与/将兵を激励する為に視察」に訪れていたロシア軍屈指の名将のコンドラチェンコ少将に命中して戦死する。その死でロシア軍将兵は士気が大きく低下したと言われる。

ロシア軍の主要堡塁;東鶏冠山北堡塁と二竜山堡塁、松樹山堡塁は「玉砕」に近い形で次々と陥落していく。翌年1月1日16時半、ロシア軍は降伏した。日本軍は戦死5,052名/負傷11,884名。ロシア軍は戦死5,308名/負傷者は12,000名近く。旅順包囲線全体では日本軍の投入兵力は約13万名、死傷者は約6万名に達した。

そして日露戦争の最後の戦い「奉天会戦」に、旅順から奉天(瀋陽)郊外にこの28サンチ砲6門を移動させ、総計16,940発を発射させて(命中度はともかく)勝利に導いた。




地下鉄Paral-lel駅からバルセロナ地下鉄が運営するフニクラ Funicular(ケーブルカー)に乗って、モンジュイックの丘の中腹に行く。

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DSCN2258.jpg

ここでゴンドラに乗り、山頂にあるモンジュイック城に行く。

DSCN2263.jpg

城からバルセロナ市内が一望!

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(標高173mからの景色:サグラダ・ファミリアは一際高い)

で、モンジュイック城 Montjuïc

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バルセロナ防衛のための要衝として機能。19世紀より刑務所として使われ、フランコ政権下では多くの反政府活動家が処刑された。フランコ政権が崩壊後、バルセロナ市の所有となり1960年に軍事博物館として開館した。

その要塞内に入る手前に、噂の大砲があった。
しかも3門も!

DSCN2286.jpg


「これかぁ!日露戦争で活躍した28サンチ砲は!」と思って感慨深げに見たが・・・


ん?


DSCN2270.jpg


305mm砲だった…


30.5サンチ砲…
口径が違うじゃん…

ただ、当時の写真と見比べると、砲座・砲身の長さは違うものの基本構造はよく似ている。

800px-Japanese_28_cm_Howitzer_during_the_Siege_of_Port_Arthur.jpg
(現存する28サンチ砲はない)

img159.jpg
(日露戦争後に満州に配備された28サンチ砲)



DSCN2272.jpg

DSCN2288.jpg

落胆するものの、砲弾の装填は後装式(付属のクレーンで水平に吊り上げた砲弾を人力で押し込んで装薬を入れる)は同じ。

DSCN2274.jpg

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DSCN2278.jpg

DSCN2283.jpg

なるほど、なるほど。

雰囲気はよーくわかったのでヨシとするか。

とりあえずモンジュイック城に入ってみる。

DSCN2294.jpg

第二次世界大戦時の大砲が数門ある(1932年前後)。

DSCN2297.jpg

DSCN2310.jpg

DSCN2302.jpg

これは余り感心がナイ・・・

当時の写真はこちら

DSCN2335.jpg


おっ!
下を見れば・・・


305mm砲(30.5サンチ砲)


DSCN2305.jpg


美しい・・・



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