スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フランス9:ルピュイアンヴレ(ノートルダム大聖堂)

ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂Cathédrale Notre-Dame du Puy

DSCN1622.jpg
(尖塔から右端までが大聖堂。その下は城塞だったが現在はホテル)

※ル・ピュイLe Puy="丘"の意味。

モン・アニMont Anisの丘に建つロマネスク様式の大聖堂。聖堂内に「黒い聖母像」、聖堂背後に高さ16メートルのマリア像を頂くコルネイユ岩山がある。創建以来、(マリア信仰の)サンティアゴ‐デ‐コンポステラへの4本の主要巡礼路のひとつの出発地として知られ、世界遺産に登録されている。



正面扉口は西にあり、礼拝堂の中央部から階段を降りた下の階にある。


古代ガロ・ロマン時代、熱病に冒された貴婦人の前に聖母マリアが出現して「この石に座ると治る」といい、座ると治ったそうだ。その噂を聞きつけた人々の信仰を集め、マリアがここに聖堂を建てることを指示し、ここに教会が建てられた(そうだ)。

その地を含めた南フランスには先住ケルト人も住んでおり、キリスト教以前の土着宗教「ドルイド教」の聖域だった(こうしてシャルトルと共に、ここはもっとも古いマリア信仰の巡礼地になった)。

大聖堂は古代ローマ時代の大規模建築物(ガロ・ローマ時代神殿を含む)に建てられた。

まず415〜430年の間に(ローマの許可を得て)教会を建設。巡礼者が増え続けたため、火山岩だけでは足りなくなり、1〜3世紀の古代ローマ時代の神殿の石も使いながら、9世紀→11世紀→12世紀と少しずつ拡大。

11〜12世紀の拡張工事では17mの高低差を埋める為に、礼拝堂を西に拡張して、中央部に正面玄関に出る階段を作った(結果的に5層になった)。ちなみに12世紀の巡礼者数は約50万人だった。

map.jpg

ペストが大流行した13世紀、ヨーロッパ中の人々がこの黒いマリアに救いを求めた。


DSCN1690.jpg

12世紀に出来たファサードは、地元産の白い砂岩/黒い角礫岩をモザイクに組み合わせてを交互に積み重ねたイスラーム風(イスラーム建築の影響を強く受けたスペイン風)。ロマネスク様式の彫刻はない。世界中にあるキリスト教の教会の中で「最も魅力的で美しい教会のひとつ」と称される。

DSCN1653.jpg


なんともデカイ!


正面入り口(12世紀に増築した部分)

DSCN1657.jpg

教会内に入っても階段を上り続ける・・・
(ただし階段は18世紀に壊され、1998年に再建されている)

DSCN1656.jpg

礼拝堂に入る・・・

黒いマリア(幼いキリストを抱いている)が祭壇の中央に鎮座している。

DSCN1666.jpg
(中央の柵で囲まれている穴=階段から上がってくる)


でかッ!


荘厳ですワ。
ほんと、スゴイ!


DSCN1663.jpg

パイプオルガンも立派!

DSCN1664.jpg


黒いマリア:フランス王ルイ9世 (1214〜1270) が7度目の十字軍帰還の際、寄進した。

主祭壇は18世紀の建築家Jean-Claude Portalの製作。基部は愛を象徴する鳥ペリカンを象っている。この主祭壇に黒いマリアが安置されている。

DSCN1661.jpg
(黒いマリア像;出身はサン・モーリス・デュ・ルフュージュ修道院=二代目)

カテドラルの説明では「葡萄作りの労働者の日焼けした顔色を模し、労働の尊さを示している」とあるが、「エジプトかエチオピアから持ってきた/コプト人かエチオピア人が信仰していた土俗的な地母神か女神イシス」や、「素材の杉が経年劣化で黒くなった」、「10世紀より前からあった」とか諸説色々。

ルイ9世は実際、アイユーブ朝のエジプトを攻撃している(負けて捕虜になり、占領地を全て放棄した上に莫大な身代金を支払って撤退。8度目の遠征チュニジアで死去。死後27年の1297年にカトリック教会により列聖された)。

宗教改革後は巡礼そのものが衰微したことにより、大巡礼地だったル・ピュイ・アン・ヴレも廃れた。

さらにフランス革命時(1794年)に革命軍によって、像の背に入れていた(由来が書いていたと思われる)丸めた羊皮紙文書と一緒に焼失する。

革命が終わると、ル・ピュイにあるサン・モーリス・デュ・ルフュージュ修道院の「黒いマリア像」を、ノートルダム・デュ・ピュイの主祭壇に安置した(現在に至る)。この二代目の像は1856年6月、教皇ピウス9世の代理であるル・ピュイ司教によってノートルダム・デュ・ピュイが戴冠された。

1860年に巨大なノートルダム・ド・フランスの像(マリア像)も建てられたことがきっかけに、ル・ピュイは再興する。ルーベンスの絵も飾られた。

聖金曜日が受胎告知の祝日と一致する年はル・ピュイ巡礼では特別な年とされた。20世紀では1910年/1921年/1932年、21世紀は2005年/2016年/2157年。

PuyenVelay81.jpg
(写真提供は左上のクレジットで/毎年8月14〜15日には聖母マリアの聖体行列 Procession de la Viergeが行われる)


熱病の石 la pierre des fièvres

isi.jpg

祭壇横には、寝ると病が治るla pierre des fièvres(熱病の石)という黒い岩盤もある(聖石信仰のドルイド教に由来とされる)。さわっても座っても寝てもOK!


正面の祭壇に向かって左にある、聖遺物を安置した礼拝堂は渋い。

DSCN1668.jpg

DSCN1671.jpg

ここにも黒いマリア像がある(幼いキリストを抱いている)。

DSCN1670.jpg

正統派のキリスト教では黒は不吉な色/白が神聖な色とされる。さらに聖母子の像・絵画では、聖母マリアはイエスを右が左に抱き、中央には抱くことはない。だが黒いマリアは中央に子供(キリスト)を抱く。

黒いマリアは、「地母神/豊穣の女神」が、キリスト教の「無原罪の処女懐胎のマリア=聖母マリア」のイメージと融合してできたものが「黒い聖マリア」の像という説が一般的。先住ケルト人が住んでいた南フランスには黒いマリア像が多い。

純血と絶対服従を要求する唯一神信仰より、土着的な女神信仰(マリア信仰)を信じて敬った。毎年8月14〜15日には聖母マリアの聖体行列 Procession de la Viergeが行われる。ちなみに15日は聖母マリアの昇天した日。


修道院

ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂の修道院には有名な回廊があるが、拝観時間を過ぎていたので締まっていた(残念)。

DSCN1688.jpg


この出入り口から、巨大なマリア像に行く。

DSCN1686.jpg



主祭壇脇には木製の聖ヤコブ像があり、ここで毎朝、聖地サンチャゴへ旅立つ巡礼者達のためにミサが行われている。サンティアゴ巡礼の出発点はプロット広場。ここにはサンティアゴ巡礼路を示すプレートがある。

.
.
.
- - - - - -
☆ランキングに参加しています。
宜しければ、どれかにポチっ(↓)と応援お願いします・゚・(ノд`)・゚・

にほんブログ村 鳥ブログ オカメインコへ にほんブログ村 鳥ブログ サザナミインコへにほんブログ村 鳥ブログ 鳥 多種飼いへ
にほんブログ村 旅行ブログへ ブログランキング・にほんブログ村へ

ぽちっ・・ありがとうございますっ☆

Copyright belongs to Haruko. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.
スポンサーサイト

テーマ : フランス旅行
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Harukovsky

Author:Harukovsky
我が家の構成員は下記の通り。
●オカメインコ(全体が黄色のEXスーパーヘビーシナモンパールパイド)♂のハルオ。
●サザナミインコ(ノーマル)♀の鬼嫁みどり。
●サザナミインコ(コバルト)♂の婿殿コバオ。
●人間(快楽主義)♂のオット
●人間(放浪主婦)♀の私
- - - -
構成員だった羽衣セキセイ(オパーリンライラック)♂の正男さん、ローラカナリア♂のロロさんは私の実家に出向中。
赤カナリア♂のアカオさんは2011年8月4日に虹の橋へ旅だってしまいました☆

旧ブログ→http://harukovsky.cocolog-nifty.com/blog/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。