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フィジーの土地問題とサトウキビ事情

フィジーでは、年間30万トンから35万トン前後の粗糖が生産され(白糖は生産せず輸入)、8割を占めるEUや米国への輸出で外貨獲得源になっている。日本も第5位の輸入先国。

EUとはコトヌ協定(ロメ協定) Cotonou agreement により、粗糖の輸出は特恵的な価格が設定されていたが、WTO違反とされて2007年12月に失効した。EUは約3億ユーロに及ぶ砂糖産業近代化資金の供与を約束した。

だが、フィジーは2006年12月クーデター後、民主的な選挙は行わず、議会が存在しない状態が続いている(現在は軍事政権)。特に移民や少数民族に対する民族差別、反政府系報道の締め付け強化は国際社会でも問題になっており、EUからの砂糖産業近代化資金供与は停止されている。2009年9月には英連邦から完全な資格停止処分を受けている。



サトウキビ栽培地帯は全農地の半分を占め、ビチレブ島の北部&西部の沿岸部・バヌアレブ島北部に集中している。また労働者の1/5が砂糖関連産業に従事している。

フィジーのサトウキビ栽培は、インド系の約1万8,000戸の小規模農家(小作農)のほとんどが、畑の大半を所有している先住フィジー人から土地(マタンガリ所有地)を借りて営む形態で行っている。

※1940年、マタンガリ所有地の貸借関係を一元的に管理する Native Land Trust Board が設立された。サトウキビ畑の大多数はマタンガリ所有地である。 NLTB が、地主と借地人との仲介・借地料の決定を行う。

フィジーが英国の直轄領(植民地)になったとき、間接統治を適用した(フィジー人がフィジー人を統治する)初代提督は「先住フィジー人以外には所有権を認めない」という法律 Native Lands Ordinance を1880年に制定する。

この法律が現在まで維持されるが、独立後の資本主義経済の中で、先住フィジー人とそれ以外の人々との土地所有格差が顕著になり、軋轢の源になった。

フィジーの土地

・83%はマタンガリ matagali と呼ばれる伝統的フィジー系住民共同体による共同所有地で売買は禁止されている。先住フィジー人の部族長や村が所有権を握っている。農耕地だけではなく商用地も持っている。
Freehold Land と呼ばれる植民地化以前に売買された土地は9.8%ある。今も自由売買が可能だが非常に高いし、売り地はなかなか出ない。
Crown Land は全体の7%で大半が政府所有地で、耕作には適さない土地がほとんど。

つまり フィジーでは先住フィジー系以外の民族が新たに土地を所有することが極めて困難 な状態だ。先住フィジー人は出自集団(マタンガリ)を重視するため、別の民族の混血は先住フィジー人とされない。

※漁業権もフィジー系が独占している。離島などに住む先住フィジー人ではない少数民族(ランビ島に住むバナバ族などソロモン諸島移民)には漁業権がないのでこの権利も賃貸契約している。



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サトウキビの収穫時に雇用される人々は、インド系とソロモン諸島からの移民子孫がほとんど(先住フィジー人はまずいない)。貧困ライン以下の賃金水準で働いている。



2007年人口調査:先住フィジー人(Kaiviti 57%)、インド系(Kaihidi 38%)、その他(5%)。1990年位までの人口比はほぼ5:5だったが、2000年以降、インド系の人口が急速に減っている。

インド系小作農民は英国植民地時代の1879年から1916年にかけて、農地開拓を含むサトウキビ・プランテーションの年季契約労働者として移住してきたインド系移民の子孫。

(英国の植民地だったインドから、約6万人のインド人労働者が5年契約&5年の延長付きでフィジーに来た。英国政府にとってのインド人労働力は、フィジー人の代替だった。英国政府は経済的観念も労働意欲も乏しい先住フィジー人を村落にとどめ、部族長とのみ政治を行うためだった。

計10年間働くと帰国希望者はインドまでの船賃免除された。多くのインド人が土地の99年間リース期間内ということもあり、約4万人がそのまま居残った。1920年頃から北インドからは商売人が自由移民としてフィジーに定住した。1946年頃のフィジーは、インド人の人口がフィジー人を凌駕した)

フィジー人は(所属する村や部落が)土地賃貸料で少ないながらも収入を得られ、基本的に賃貸料不要の村落に居住し自給自足に近い生活ゆえ、ガツガツ働く必要はない。共同体的扶助の規範は機能があるため、貨幣経済に慣れていない。大変な労働を強いられるサトウキビ農家を自ら営む者は極めて少ない。

一方、インド人は農地(商用地)も自分の家も借地賃貸契約しなければならない。所有地がないため教育に力を入れ、商業や専門職などに従事する者が多い。

フィジー人はのんびりゆっくり(マイペース)。
インド人は労働意欲が旺盛、市場経済に則した経済観念を持つ(テキパキ動く)。



英国からの独立前後、経済発展と共に、先住フィジー人とインド系移民の間には、大きな学力格差・経済的格差が明確になった。

土地を持つことが出来ないインド系移民と、地主である先住フィジー人は表向きは良好な関係を築いているが、民族感情や政治的な対立は根深い。

独立以降、経済と商業を握るインド系 vs 軍事と土地所有権を持つフィジー系なる構図が出来上がる。インド人ら移民は「不平等な土地所有制度の改正」を訴える。

1987年の総選挙で、インド系の国民連合党(NFP)と民族の枠をこえて結党した労働党(FLP)の連立政権が樹立されると、先住フィジー人はインド人を明確に意識し敵対する。

選挙で選ばれた民主的な政権は、軍事を握るフィジー系勢力による軍事クーデター(無血)で転覆させられている(1987年に2回、2000年)。いづれもインド系移民による土地解放要求、先住フィジー系国民の既得権強化要求などの土地所有問題だった。

(インド系移民の国外流出が顕著になった2006年12月の軍事クーデターだけは、フィジー系同士内での土地権益問題に端を発している)。

1940年、マタンガリ所有地の貸借関係を一元的に管理する Native Land Trust Board が設立された。サトウキビ畑の大多数はマタンガリ所有地である。1967年以前(植民地時代)の借地期間は99年間だった。

だが1967年には10年間に短縮された。1976年の農地貸借法 Agricultural Landlords and Tenants Act では、農地の借地期間は30年間と短く定めた。最大年間賃貸料は原則、「農地として開拓する前の土地価格の6%以内」に制限している。

この借地権は1997年から順次、期限切れを迎えている(2001年までに全体の約70%が期限切れ)。根深い対立もあり契約の更新はあまりされていない。

農地や商業地のリース期間の長短、相次ぐ政策の変更はインド系住民にとって死活問題。
特に2000年5月のクーデター後、借地賃貸契約更新の拒否問題が頻発する。借地に建てた固定資産は、立ち退きの際に一切補償されない。

土地問題に起因する社会不安から、専門的技能・知識(看護婦、医師、教師、歯科医、技術者、科学・化学学者、熟練工など)を身につけた者は次々とフィジーを離れて、豪州やニュージーランドなど他の国に移住していった(現在も流出がつづく)。



2000年5月のクーデター後、農地も借地賃貸契約更新拒否等の問題が頻発、作付面積が離農により年々減少し続けている。サトウキビ栽培を中止した農地を別の農家が借りて、またサトウキビを栽培する例はほとんどなく、多くが荒れ地になっている。

農地の借地契約の更新が出来なかったインド系小作農の多くは、首都スバなど、主に東部にあるスクワッター(不法占拠者集落)に住むことになる(現在推定8万人)。

ちなみにスクワッターに住むのは、伝統的な慣習が残る田舎の生活を嫌った先住フィジー人の若者も少なくない。スクワッターに住む者は、フィジーの国民85万人のうち、10万人とも20万人とも言われインド系もフィジー系もその他移民子孫も皆、共存している。



また多くのサトウキビ栽培農家は、借地権更新問題の不安から、新たな肥料や農薬の挑戦、灌漑への投資を渋り、生産性を上げるためのサトウキビの改植も最低限しかしなくなった。

出荷したサトウキビが工場で製糖され、その収益配分は、農家70%・製糖工場30%の比率。これは作物の出来の良さに関係なく一律で分配される。個々が生産努力してもしなくても貰える金額は同じため、生産低下につながっている。

フィジーではサトウキビの強制作付および代替作物の禁止などの規制はないため、小規模のサトウキビ農家を中心に、サトウキビから高騰するキャッサバ(芋:低所得者層の主食)への転作も目立つ。

よってサトウキビの品質低下し、2000年以降、サトウキビの収穫量は半分に落ち、砂糖生産量は半分以下で急落した。ただ製糖工場の機能向上により、糖蜜の生産高は上がっている。


フィジーのサトウキビの収穫はほとんどが人力。
(諸外国はサトウキビ収穫機ケーンハーベスタを使う)

サトウキビ農家1戸当たりの平均的耕地面積は4ヘクタール程度。収穫期になると農家は刈る作業をする作業員(ほとんどがインド系かインド系の混血)を雇う。約10名のグループをつくり、担当地区ごとに1日当たり約10トンの収穫量がノルマとして課せられる(作業員1人1日当たりの収穫能力は1日当たり1トンと少ない)。

収穫されたサトウキビは、畑からトラックか老朽化著しい運搬鉄道で製糖工場に、平均1日1回運搬される。トラックと鉄道の割合は半々らしい。

生産農家の横の連帯はなく、個別に収穫および搬入時間を決めている。どの農家も夕方に搬入するため、工場はこの時間に搬入が集中して大混雑になる。

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サトウキビ畑の中にも敷設されている《サトウキビ運搬列車》の線路。

総延長は597km、610mmゲージを使用。

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工場へ搬入するため並ぶ・・・

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サトウキビの製糖方法

サトウキビの茎の絞り汁を加熱。煮詰めて濃縮したものに少しの石灰を加えて冷やし固めると、粗糖(結晶)と糖蜜が出来る。フィジーでは粗糖(含蜜糖)のまま出荷している。

bagasse(絞りかす)は重量の25%にもなり、製糖工場の燃料として使う。余剰分は製紙パルプの原料として日本に輸出している。





フィジー政府が資本の68%を所有するフィジー唯一の製糖会社
Fiji Sugar Co.,Ltd.
(半官半民の公企業)

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FSC(Fiji Sugar Co.,Ltd.)の製糖工場は、ビチレブ島ラウトカ/ララワイ/ペナン、バヌアレブ島ではラバサで操業している。写真はラウトカ工場(1903年操業)。敷地内にはサトウキビ研究センターやラグビー場もある。

サトウキビの収穫は6~12月にかけての約30週間、工場の操業日数は年間約127日。

粗糖の生産の過程で出る《糖蜜》を2つの工場で、エタノール製造ラインを建設して生産することを計画している(低所得者層の主食キャッサバもエタノール製造の原料にしようとしている)。

フィジー砂糖販売会社(FSM)は、FSC・サトウキビ農家・政府の代表者で構成される非営利団体で、砂糖・糖蜜の売買契約、船積、販売を独占している。砂糖販売から0.33%の手数料として徴収している。

ラウトカ工場は海岸(ラウトカ港)に隣接して立っており、製品倉庫も船積み用施設も敷地内にある。

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サトウキビ運搬列車のメンテもインド系の人々。

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(今後、加筆する可能性あり)
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とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。
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●オカメインコ(全体が黄色のEXスーパーヘビーシナモンパールパイド)♂のハルオ。
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