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フランス紀行:ルルドの泉

またまた更新が滞ってしまいました。

あれから、「まあ、よくぞこれだけ色々な事がおきますな〜」ってなくらいの怒濤の日々でしたが、ようやく2つの大仕事を残して片付きました。

そんな中でもしっかりと旅行には行っています(笑)
夏休みはフランスと英王室領ジャージー島に。

パリから(オットの希望で)ヴィシー。そのあとタイヤのミシュランの本拠地Clermont-Ferrand→宗教的奇跡を数多く起こしている(と言われる)ルルド→サンマロ→英王室領ジャージー→サンマロ→サンマロ近郊→パリ→東京、というルート。

今回はその中で興味深かったルルド Lourdes をアップしてみる。

ルルドは、フランスとスペインの国境になっているピレネー山脈の麓にある。軍事的に重要な土地なためビゴール伯爵の要塞が有り、この地域の行政中心地ではあった。だが土地は痩せており飢饉も頻発する貧しく小さな町だった。

1841年2月より、「聖母マリアの出現」と「ルルドの泉」で知られ、今や年間300〜500万人の巡礼者が訪れるカトリック教会の最大の巡礼地になっている。人口15,000人ほどだが、4つの教会と多くの病院が建ち、ホテルの数はパリの次に多いそうな。


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ルルドはかなりの辺境地にあるのに関わらず、パリからのTGVも止まるし、国際空港でもあるルルド・タルブ空港まである。世界各国からチェーター機で乗り付ける信者も多いらしい。ルルド駅に着くまでは田園風景だけが続く(景色はつまらない)。

ルルドは「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の巡礼地ではないが、フランス側のトゥールーズの道(サン・ジルの道)の経路にあるため、一緒に参拝する信者も目立つ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼:フランスの4カ所から(イエスの十二使徒の一人聖ヤコブの墓があるとされる)カトリックの聖地(スペイン)のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼する。スペインからとポルトガルから出発する巡礼路も各々1ルートあり。年間およそ10万人がサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅に出ている。




「聖母マリアを目撃」した少女ベルナデット・スビルー Bernadette Soubirous は、ルルドの非常に貧しい一家に生まれた娘だった。生まれた時は粉引き屋で水車小屋に住んでいたが、12歳の時、凶作で水車小屋の家賃が払えず、1857年冬から約1年間、カショ Le Cachot と呼ばれるかつての牢獄の一間に間借りした(広さは10畳ほど)。

衛生的でないという理由から、牢獄としてすら使われなくなった建物だった。1995年~96年に改修されたが、その時の家が現存しており、聖地となっている。

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(聖母マリアの出現を見たときに住んでいた家)

1858年2月11日、ポー川 Gave de Pau の川岸の洞窟 Grotte miraculeuse(マッサビエル)で、14歳の少女ベルナデットは、妹トワネットと近所の友達で石切り屋の娘ジャンヌの3人で、マッサビエールの洞窟付近で、薪にする流木を拾い集めている時、少女ベルナデットだけ洞窟の奥から出現した「聖母マリアを目撃」した。

少女ベルナデットは、聖母マリアを目撃した当初、それが聖母マリアと思わず、女性の形をした「あれ」=Aquero(ルルド方言)と呼んだ。「あれ」は年頃16〜17歳の白い着物を着て、空色の帯を締め、右の腕にロザリオをかけている女性だった。家への帰路、妹にそのことを話したが、何も見なかった妹は、そのまま母親に告げた。少女ベルナデットの幻覚ではないか?と疑い、洞窟に行くことを禁じた。

2月14日、父親の許しを得て再びそこへ戻ると、その女性は再び姿を現した。

2月18日、少女ベルナデットは、Milhetと彼女の裁縫師と同行して洞窟に行く。同行した2人は姿を見ることが出来なかったが、名前の署名を迫った。出現した女性は、少女ベルナデットにのみ「署名の必要は無い。15日間ここへ来るように」と言う。同行した2人は声も姿もを見ることが出来なかったが、そのことを皆に話した。

2月19日、4回目の出現時には8人の見物人が集まる。
2月20・21・23・24日、出現。

2月25日、9回目の出現時、出現した女性は「その泉の水を飲んで顔を洗いなさい」と言う。洞窟の岩の下の方へ行くように指差したため、それに従って少女ベルナデットは穴を掘ったが、その穴は泥水だらけだった。だが約8,000人の野次馬の中に片眼を病んでいた人がおり、穴の水を飲んだところ、数日後には治癒していた。腕の痛みを訴えていた老女は、穴の水に腕をつけると痛みが消えた。

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(今も泉が湧く Le Gotte)

2月27・28日・3月1日、泥水の穴は、澄み切った湧き水で満たされていた。

3月2日、13回目の出現時、「神父に伝えなさい。人々にここに列を成して来るように、そして聖堂を立てるようにと」。(聖堂は8年後の1866年に地下聖堂としてつくられた)

3月3日、出現した女性は再び指示を促すが、それを聞いた少女ベルナデットから聞いた神父Peyramale(少女ベルナデットが洗礼を受けたサクレ・クール教会の神父)は、「まず彼女(聖母マリア)に名前を告げさせ署名を貰いなさい」と言う。

3月4日、2週間の最後の日、出現した女性は無言だった。

3月25日、16回目の出現時、出現した女性は "Que soy era Immaculada Conceptiou." と口にした。少女ベルナデットはその言葉を何度も繰り返しながら神父の元へ走った。

「私は無原罪の宿りです」の意味は、「人類の始祖アダムとイブの堕罪の原罪は、全人類が生まれながらに負っているとされるが、聖母マリアだけは(神の恵みの特別なはからいによって)母アンナの胎内に宿った時から免れていた」とのこと。

もっとも「無原罪の御宿り」はキリスト教全宗派が公定しているのではない。正教会は「マリアも元祖アダムの罪を免れず、光栄が得られたのは、イエス・キリストを生んだ後」とする。8世紀以前のものに認める聖伝を限定する復古カトリック教会も認めていない。プロテスタントは、そもそもマリアを崇敬するという概念がない。

カトリックのいう「無原罪の御宿り」は、1854年に教皇ピオ9世によって、カトリックの信仰箇条として宣言されたばかりのもの。ルルドでの聖母マリア出現で、バチカンはこの教義宣言の正しさ確認した。 ただしフランスはもともとマリア信仰(キリスト以前からあった原始宗教の一つ)が盛んな地域である。



神父は、 "Que soy era Immaculada Conceptiou." =私は無原罪の宿りです、という意味のラテン語を、洗礼は受けたものの教義さえ充分に理解できず、ラテン語もフランス語も出来ない無学のこの少女が口にしたことに驚く。このことは、この出現が本物である証拠となり、貴婦人が聖母マリアであることが明らかになった。

4月7日、1,000近い野次馬が見守る中、「蝋燭の奇跡」が起こる。

7月16日(カルメル山の聖母の祝日)、洞窟は立ち入り禁止となってしまっていたため、少女ベルナデットはポー川を渡り対岸の牧場へと廻る。ここでの18回目の出現が最後となった。「彼女(聖母マリア)は今までにない程、綺麗でした」と、少女ベルナデットは語った。

少女ベルナデットの「聖母マリア出現談」は瞬く間に欧州に広がり、巡礼者が訪れるようになった。聖母マリアの指示通り掘った穴からの湧き水を飲むと、病気を治癒する奇跡が起きた。ルルドの水の奇跡の話は瞬く間に広まり、病に苦しむ人々が集い、さらなる奇跡的な治癒がもたらされた(1933年の出現75周年祈念祭には180万人!)。

洞窟は同年10月5日、ナポレオン3世の命により解放された。

1862年1月18日、約2年間に及ぶ司教区調査委員会による調査の結果、現地司教は「ルルドのマッサビエルの洞窟の聖母御出現を公的に認める教書」を発布、ローマ教皇ピウス9世により真正のものと宣言された。

1864年にこの洞窟の前に聖母像が建てられ、1866年には洞窟を取り囲むように地下聖堂が完成。信者からの献金で1876年7月、洞窟の上にはバジリカ聖堂が建てられた。

1866年、22歳になったベルナデットは、聖域内で最初に建てられた地下聖堂の完成を見た後、教会側の意向に従い、(国鉄Paris-Marseille線またはNantes-Lyon線Nevers駅近くにある)サン・ジルダール Saint-Gildard 修道院に入り、1879年に肺結核により35歳で没す。

遺体は聖ヨセフ小聖堂の地下墓地に埋葬されたが、遺体鑑定のため1909年・1919年・1925年と3度も掘り出された末、1933年にローマ教皇より列聖された。修道院の聖堂に安置されているが、遺体はほとんど腐敗していない(現在は蝋でマスキングされている)。

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出典;『聖ベルナデッタ―その体について―』

Bernadette
フランス語ではベルナデット
ラテン語でベルナデッタ
(列聖されたのでベルナデッタと呼ぶのが一般的らしい)



なお、少女ベルナデットは聖母マリアの出現を受けたとき、その胸に Chapelle-Notre-Dame de la Medaille Miraculeuse(パリ)の、“原罪なくしてやどり給いし聖マリア、御身により頼み奉る我らの為に祈り給え”と書かれたメダイを着けていたとか。

少女ベルナデットは「あれ」=聖母マリアを18回も見ているが、回数を追うごとに増えた野次馬、誰ひとりとしてそれを目撃していない。

聖母マリア出現後、ルルド小教区教会(サクレ・クール教会)ペイラマル神父は、牢獄跡カショー住む少女ベルナデット一家を救うため、ペイラマル神父が借りた家に引っ越した(後にローレンス司教が一家に与える)。ただ有名になりすぎたベルナデットはここには住めず、聖域内のホスピスで働きながら寄宿した。



教会への“参道”には土産物屋、ホテルが約250軒ほど連ねる。土産物の他に、蝋燭、取水に使う瓶やタンクも売っている。ルルドに来る信者(私のようなただの観光客も含む)は、概ね、老人が多い。欧州のみならず、世界各国から訪れる。肌の色から西アフリカ、アジアは南インド人が目立つ。観光バスが中心部に乗り入れているため、空気は余り良くない。

駅から約10分歩くと「聖域」とよばれる場所のサン・ミシェル門に着く。

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(城塞から聖域を見る)

ラグビーボールのような形になっている芝の下は、長さ191m×幅61m、約25,000人収容可能の世界で3番目に大きく、聖域では4番目につくられた《聖ピオ10世地下バジリカ聖堂》Basilique souterraine St. Pie.X である。これは聖母マリア出現100周年記念事業で1958年3月25日献堂式を行っている。聖堂内は体育館のよう。2013年6月の洪水では水没した。

聖堂は三層の建築物から構成されており、真上から見ると「十字架」の形になっている。

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・上部聖堂:1883年に聖域で2番目に建てられた《無原罪の御宿り聖堂》Basilica of the Immaculate Conception。ルルドの水が湧く岩山の上に建つ。

・Crypt:上部聖堂の真下に、1866年に聖域で最初につくられた(こぢんまりとした)《地下聖堂》。地下ではなく岩山の上部にある洞窟を垂直に掘られている。

・下部聖堂:岩山の麓、地面に建てられた聖域内で3番目の《ロザリオ大聖堂》Basilique Notre-Dame-du-Rosaire de Lourdes.


大きな地図で見る

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尖塔の上部聖堂「無原罪の御宿り聖堂」、その手前の下部聖堂「ロザリオ大聖堂」の裏手、ローマ水道橋を思わせるスロープの坂のアーチを潜ると、大きな岩山があり、ここにマッサビエルの洞窟 Grotte miraculeuse と泉が湧く Le Gotte がある。

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マッサビエルの洞窟 Grotte miraculeuse は、尖塔の「無原罪の御宿り聖堂」教会の真下にある。
(ロザリオ大聖堂は地面レベルの1階、無原罪の御宿り聖堂の出入り口はスロープのある2階)

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少女ベルナデットが聖母マリアに指示されて掘った穴(湧き水)をみようと、信者や観光客で長蛇の列。さすがは聖地だけあって規則正しく並んでいる(病人優先)。そして泉の前には祈りを捧げる信者がたくさんいる。少女ベルナデットが掘ったとされる泉はアクリル板で覆われている。

洞窟内の岩壁の割れ目からも泉が湧き出ており、信者はその水を手に取り、顔や身体に塗っていた。そのせいか、手が届く限りの範囲の岩肌はツルツルになっている。

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(泉が湧く Le Gotte)

なお、取水用蛇口はここから横に20mほど離れた所に給水場が有り、ズラリと並んだ蛇口から、各自様々な容器を持った人々で、時間帯によっては大混雑する。約122,400L/1日、地下1,002mから湧き出している。

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アフリカン・ママは、水タンクを頭に乗せていた(笑)

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聖域では4月初旬〜10月下旬の毎晩21:15より、夜のミサ Processions Mariale(ロウソク行列)が行われる。ロウソク=火は、信仰と希望の象徴である光。

神輿に乗せたマリア像をロザリオ大聖堂前に置き、聖母マリアが出現するシーンを再現すると、各国の信者代表が朗読・賛美歌「アベ・マリア」を捧げる。ロウソクを持った信者がステージに集まってきて祈りを捧げる。この数がスゴイ!

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病人はボランティアの看護師が搬送する。医師も含め、なんとボランティアの多いこと。常時、介護を必要とする人1万に対して3万人のボランティアがいる(ボランティアは年間通算8万人動員)。

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教会前の広場の半分以上が、ロウソクを持った信者で埋め尽くされる。

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(エスプラナード・デ・プロセスィオン:奥がサン・ミッシェル門)



尖塔の上部聖堂「無原罪の御宿り聖堂」、その手前に張り出した下部聖堂「ロザリオ大聖堂」。

長らく修復工事中だったが、2013年03月11日より公開。ファザードの窓をつぶして独特の(漫画絵ぽい)モザイク画になった。ロザリオ大聖堂は1889年、聖域内で3番目に建てられた。

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手前にあるロザリオ大聖堂。

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ロザリオ大聖堂の背後、スロープを上がったところに、聖域で2番目に建てられた無原罪の御宿り聖堂の出入り口(無原罪の御宿り聖堂は、一般的な教会と内部はほぼ同じで約700人収容)がある(=青丸)。その真下に、聖域で最初につくられた(こぢんまりとした)地下聖堂につながる出入り口(=赤丸)がある。

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出典:Google Map

《無原罪の御宿り聖堂》(上部聖堂)は岩山の上に1866年に着工、1871年に完成。

《Crypt》地下聖堂。無原罪の御宿り聖堂の真下、岩山の上部にある洞窟を「聖母マリアの要請」で聖堂にしたもの。1866年に完成。少女ベルナデット出席のもと、主任司祭ペイラマル神父・タルブ教区ローレンス司教によって祝別式が執り行われた。

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(ロザリオ大聖堂の上より撮影)

さて、ロザリオ大聖堂。

1883年7月着工、1889年6月工事が完了(1901年10月6日献堂式)。岩山を掘削をして建設したため難工事だったという。シルエットはロマネスク様式、内部の装飾はネオ・ビザンチン建築の伝統を受け継いでおり、1,500人収容可能。1929年、教皇により特権を与えられたバジリカ聖堂に格上げされた。

内部もモザイクだが、漫画絵っぽいのは同じ。

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聖ドミニコにロザリオを手渡す聖母マリアのレリーフ。山岸涼子というか萩尾望都というか、そんな感じの聖母マリア。2006年修復のモザイク画。

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堂内には15の祭室が設けられ、ドームは天国を現しているらしい。

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外壁はRupnik神父制作のモザイク画。

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聖母マリアは少女ベルナデットに「行って泉の水を飲み、身体を清めなさい」と言った。聖域内には信者が身体を清めるための沐浴場があり、信者でここもまた大混雑。

9:00〜11:00(日・祝除く)、14:00〜16:00
男性用が6、女性用が11の浴槽がある。

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水色と白のストライプのカーテンの奥に脱衣所、更にその奥が沐浴場。全裸になりボランティアが用意したシーツ状のようなものを下半身に巻く。水温12度の水を溜めただけの沐浴場は1m×3m程の浴槽。祈りを捧げながら浴槽内を水中歩行で往復する(速やかに歩き出さないとドつかれるらしい)。聖水なので身体は拭かないまま服を着ることになる。

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沐浴場の並びにトイレがある。

実はトイレの水、沐浴の水、汲み出し用の水、同じ水源らしい。試しに(飲用可の)トイレの手洗水を飲んだが、全く同じ味だった。雑菌が含まれないので殺菌されていると思われる。

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沐浴場の隣に蝋燭を捧げる場がある。大小様々な蝋燭があるが、特大の蝋燭は係員が挿す。写真はアフリカン・ママが献納したもの。

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ま、一般的には、写真の蝋燭売り場(取水用の瓶も)で売られている蝋燭ですけどね・・・

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ルルドの水

ルルドの水が湧くピレネー山脈の麓の地層は石灰岩質。洞窟内は概ね石灰岩で出来ているが、他の岩層もあり。ルルドの水の蘊蓄によれば、「水に含まれる活性水素が活性酸素を除去、DNAの損傷を防ぎアンチエイジング効果がある」そうな。

検査によると、石灰岩質の自然ろ過で、不純物が極めて少ない、豊富な活性水素(原子状の水素)、カルシウムやマグネシウムを適度に含んだpH8のアルカリ性水、だそう。

蘊蓄と比較すると、アルカリ性水=アンチエイジングと関連、カルシウムを多く含む天然水(雪解け水など)=脳梗塞や心筋梗塞などを防ぐことがある、が実証されているので、あながちウソではない。

だが時間とともに豊富な活性水素は消えて普通の水に戻っていくため、水源地ですぐに飲む以外、身体に摂り入れることは難しい、そうだ。

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(ルルドの水を入れるメダイ付きの瓶を購入。私自身で取水した)

「奇跡の認定基準」はルルドの医務局およびルルド国際医療協会が、奇跡の定義に見合った案件を医学的基準から判断。パリの国際医学委員会での認定を経て、被治癒者の所管の司教が設置した吟味委員会が決定する。審査は4年〜10年前後が多いが、53年かかった例もある。

これまで約2,500件の案件が持ち込まれたが、奇跡=guerisons inexpliquees(医学的に説明不可能な治癒)と公式に認定される症例は68件となっている。直近では、2011年11月末に2つの事例が認められた。77歳の修道女が坐骨神経痛により両足が麻痺、手術を繰り返しても治癒せずルルドの水で快癒。43歳の女性が高血圧脳症に悩まされていたがルルドの水で快癒している。

なお、ドイツのノルデナウ水、メキシコのトラコテ水、大分の日田天領水も、ルルドの水同様、体内で悪さをする活性酸素を消去するらしい。


2007年にルルドを訪れたローマ教皇ベネディクト16世は、1. 少女ベルナデットが洗礼を受けた小教区の洗礼堂(サクレ・クール教会)→2. 「カショ」と呼ばれるスビルー家の家→3. マッサビエルの洞窟→4. 少女ベルナデットが初聖体を受けた養護施設の礼拝堂、の順序で各所で祈る巡礼を推奨した。

下記の写真は、少女ベルナデットが1844年1月に幼児洗礼を受けた小教区の洗礼堂=サクレ・クール教会。聖母マリア出現でその事象の相談を受けた主任司祭ペイラマルはこの教会所属。火災により焼失、1905年再建。

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