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フランス紀行:ルルドの泉

またまた更新が滞ってしまいました。

あれから、「まあ、よくぞこれだけ色々な事がおきますな〜」ってなくらいの怒濤の日々でしたが、ようやく2つの大仕事を残して片付きました。

そんな中でもしっかりと旅行には行っています(笑)
夏休みはフランスと英王室領ジャージー島に。

パリから(オットの希望で)ヴィシー。そのあとタイヤのミシュランの本拠地Clermont-Ferrand→宗教的奇跡を数多く起こしている(と言われる)ルルド→サンマロ→英王室領ジャージー→サンマロ→サンマロ近郊→パリ→東京、というルート。

今回はその中で興味深かったルルド Lourdes をアップしてみる。

ルルドは、フランスとスペインの国境になっているピレネー山脈の麓にある。軍事的に重要な土地なためビゴール伯爵の要塞が有り、この地域の行政中心地ではあった。だが土地は痩せており飢饉も頻発する貧しく小さな町だった。

1841年2月より、「聖母マリアの出現」と「ルルドの泉」で知られ、今や年間300〜500万人の巡礼者が訪れるカトリック教会の最大の巡礼地になっている。人口15,000人ほどだが、4つの教会と多くの病院が建ち、ホテルの数はパリの次に多いそうな。


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ルルドはかなりの辺境地にあるのに関わらず、パリからのTGVも止まるし、国際空港でもあるルルド・タルブ空港まである。世界各国からチェーター機で乗り付ける信者も多いらしい。ルルド駅に着くまでは田園風景だけが続く(景色はつまらない)。

ルルドは「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の巡礼地ではないが、フランス側のトゥールーズの道(サン・ジルの道)の経路にあるため、一緒に参拝する信者も目立つ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼:フランスの4カ所から(イエスの十二使徒の一人聖ヤコブの墓があるとされる)カトリックの聖地(スペイン)のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼する。スペインからとポルトガルから出発する巡礼路も各々1ルートあり。年間およそ10万人がサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅に出ている。




「聖母マリアを目撃」した少女ベルナデット・スビルー Bernadette Soubirous は、ルルドの非常に貧しい一家に生まれた娘だった。生まれた時は粉引き屋で水車小屋に住んでいたが、12歳の時、凶作で水車小屋の家賃が払えず、1857年冬から約1年間、カショ Le Cachot と呼ばれるかつての牢獄の一間に間借りした(広さは10畳ほど)。

衛生的でないという理由から、牢獄としてすら使われなくなった建物だった。1995年~96年に改修されたが、その時の家が現存しており、聖地となっている。

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(聖母マリアの出現を見たときに住んでいた家)

1858年2月11日、ポー川 Gave de Pau の川岸の洞窟 Grotte miraculeuse(マッサビエル)で、14歳の少女ベルナデットは、妹トワネットと近所の友達で石切り屋の娘ジャンヌの3人で、マッサビエールの洞窟付近で、薪にする流木を拾い集めている時、少女ベルナデットだけ洞窟の奥から出現した「聖母マリアを目撃」した。

少女ベルナデットは、聖母マリアを目撃した当初、それが聖母マリアと思わず、女性の形をした「あれ」=Aquero(ルルド方言)と呼んだ。「あれ」は年頃16〜17歳の白い着物を着て、空色の帯を締め、右の腕にロザリオをかけている女性だった。家への帰路、妹にそのことを話したが、何も見なかった妹は、そのまま母親に告げた。少女ベルナデットの幻覚ではないか?と疑い、洞窟に行くことを禁じた。

2月14日、父親の許しを得て再びそこへ戻ると、その女性は再び姿を現した。

2月18日、少女ベルナデットは、Milhetと彼女の裁縫師と同行して洞窟に行く。同行した2人は姿を見ることが出来なかったが、名前の署名を迫った。出現した女性は、少女ベルナデットにのみ「署名の必要は無い。15日間ここへ来るように」と言う。同行した2人は声も姿もを見ることが出来なかったが、そのことを皆に話した。

2月19日、4回目の出現時には8人の見物人が集まる。
2月20・21・23・24日、出現。

2月25日、9回目の出現時、出現した女性は「その泉の水を飲んで顔を洗いなさい」と言う。洞窟の岩の下の方へ行くように指差したため、それに従って少女ベルナデットは穴を掘ったが、その穴は泥水だらけだった。だが約8,000人の野次馬の中に片眼を病んでいた人がおり、穴の水を飲んだところ、数日後には治癒していた。腕の痛みを訴えていた老女は、穴の水に腕をつけると痛みが消えた。

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(今も泉が湧く Le Gotte)

2月27・28日・3月1日、泥水の穴は、澄み切った湧き水で満たされていた。

3月2日、13回目の出現時、「神父に伝えなさい。人々にここに列を成して来るように、そして聖堂を立てるようにと」。(聖堂は8年後の1866年に地下聖堂としてつくられた)

3月3日、出現した女性は再び指示を促すが、それを聞いた少女ベルナデットから聞いた神父Peyramale(少女ベルナデットが洗礼を受けたサクレ・クール教会の神父)は、「まず彼女(聖母マリア)に名前を告げさせ署名を貰いなさい」と言う。

3月4日、2週間の最後の日、出現した女性は無言だった。

3月25日、16回目の出現時、出現した女性は "Que soy era Immaculada Conceptiou." と口にした。少女ベルナデットはその言葉を何度も繰り返しながら神父の元へ走った。

「私は無原罪の宿りです」の意味は、「人類の始祖アダムとイブの堕罪の原罪は、全人類が生まれながらに負っているとされるが、聖母マリアだけは(神の恵みの特別なはからいによって)母アンナの胎内に宿った時から免れていた」とのこと。

もっとも「無原罪の御宿り」はキリスト教全宗派が公定しているのではない。正教会は「マリアも元祖アダムの罪を免れず、光栄が得られたのは、イエス・キリストを生んだ後」とする。8世紀以前のものに認める聖伝を限定する復古カトリック教会も認めていない。プロテスタントは、そもそもマリアを崇敬するという概念がない。

カトリックのいう「無原罪の御宿り」は、1854年に教皇ピオ9世によって、カトリックの信仰箇条として宣言されたばかりのもの。ルルドでの聖母マリア出現で、バチカンはこの教義宣言の正しさ確認した。 ただしフランスはもともとマリア信仰(キリスト以前からあった原始宗教の一つ)が盛んな地域である。



神父は、 "Que soy era Immaculada Conceptiou." =私は無原罪の宿りです、という意味のラテン語を、洗礼は受けたものの教義さえ充分に理解できず、ラテン語もフランス語も出来ない無学のこの少女が口にしたことに驚く。このことは、この出現が本物である証拠となり、貴婦人が聖母マリアであることが明らかになった。

4月7日、1,000近い野次馬が見守る中、「蝋燭の奇跡」が起こる。

7月16日(カルメル山の聖母の祝日)、洞窟は立ち入り禁止となってしまっていたため、少女ベルナデットはポー川を渡り対岸の牧場へと廻る。ここでの18回目の出現が最後となった。「彼女(聖母マリア)は今までにない程、綺麗でした」と、少女ベルナデットは語った。

少女ベルナデットの「聖母マリア出現談」は瞬く間に欧州に広がり、巡礼者が訪れるようになった。聖母マリアの指示通り掘った穴からの湧き水を飲むと、病気を治癒する奇跡が起きた。ルルドの水の奇跡の話は瞬く間に広まり、病に苦しむ人々が集い、さらなる奇跡的な治癒がもたらされた(1933年の出現75周年祈念祭には180万人!)。

洞窟は同年10月5日、ナポレオン3世の命により解放された。

1862年1月18日、約2年間に及ぶ司教区調査委員会による調査の結果、現地司教は「ルルドのマッサビエルの洞窟の聖母御出現を公的に認める教書」を発布、ローマ教皇ピウス9世により真正のものと宣言された。

1864年にこの洞窟の前に聖母像が建てられ、1866年には洞窟を取り囲むように地下聖堂が完成。信者からの献金で1876年7月、洞窟の上にはバジリカ聖堂が建てられた。

1866年、22歳になったベルナデットは、聖域内で最初に建てられた地下聖堂の完成を見た後、教会側の意向に従い、(国鉄Paris-Marseille線またはNantes-Lyon線Nevers駅近くにある)サン・ジルダール Saint-Gildard 修道院に入り、1879年に肺結核により35歳で没す。

遺体は聖ヨセフ小聖堂の地下墓地に埋葬されたが、遺体鑑定のため1909年・1919年・1925年と3度も掘り出された末、1933年にローマ教皇より列聖された。修道院の聖堂に安置されているが、遺体はほとんど腐敗していない(現在は蝋でマスキングされている)。

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出典;『聖ベルナデッタ―その体について―』

Bernadette
フランス語ではベルナデット
ラテン語でベルナデッタ
(列聖されたのでベルナデッタと呼ぶのが一般的らしい)



なお、少女ベルナデットは聖母マリアの出現を受けたとき、その胸に Chapelle-Notre-Dame de la Medaille Miraculeuse(パリ)の、“原罪なくしてやどり給いし聖マリア、御身により頼み奉る我らの為に祈り給え”と書かれたメダイを着けていたとか。

少女ベルナデットは「あれ」=聖母マリアを18回も見ているが、回数を追うごとに増えた野次馬、誰ひとりとしてそれを目撃していない。

聖母マリア出現後、ルルド小教区教会(サクレ・クール教会)ペイラマル神父は、牢獄跡カショー住む少女ベルナデット一家を救うため、ペイラマル神父が借りた家に引っ越した(後にローレンス司教が一家に与える)。ただ有名になりすぎたベルナデットはここには住めず、聖域内のホスピスで働きながら寄宿した。



教会への“参道”には土産物屋、ホテルが約250軒ほど連ねる。土産物の他に、蝋燭、取水に使う瓶やタンクも売っている。ルルドに来る信者(私のようなただの観光客も含む)は、概ね、老人が多い。欧州のみならず、世界各国から訪れる。肌の色から西アフリカ、アジアは南インド人が目立つ。観光バスが中心部に乗り入れているため、空気は余り良くない。

駅から約10分歩くと「聖域」とよばれる場所のサン・ミシェル門に着く。

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(城塞から聖域を見る)

ラグビーボールのような形になっている芝の下は、長さ191m×幅61m、約25,000人収容可能の世界で3番目に大きく、聖域では4番目につくられた《聖ピオ10世地下バジリカ聖堂》Basilique souterraine St. Pie.X である。これは聖母マリア出現100周年記念事業で1958年3月25日献堂式を行っている。聖堂内は体育館のよう。2013年6月の洪水では水没した。

聖堂は三層の建築物から構成されており、真上から見ると「十字架」の形になっている。

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・上部聖堂:1883年に聖域で2番目に建てられた《無原罪の御宿り聖堂》Basilica of the Immaculate Conception。ルルドの水が湧く岩山の上に建つ。

・Crypt:上部聖堂の真下に、1866年に聖域で最初につくられた(こぢんまりとした)《地下聖堂》。地下ではなく岩山の上部にある洞窟を垂直に掘られている。

・下部聖堂:岩山の麓、地面に建てられた聖域内で3番目の《ロザリオ大聖堂》Basilique Notre-Dame-du-Rosaire de Lourdes.


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尖塔の上部聖堂「無原罪の御宿り聖堂」、その手前の下部聖堂「ロザリオ大聖堂」の裏手、ローマ水道橋を思わせるスロープの坂のアーチを潜ると、大きな岩山があり、ここにマッサビエルの洞窟 Grotte miraculeuse と泉が湧く Le Gotte がある。

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マッサビエルの洞窟 Grotte miraculeuse は、尖塔の「無原罪の御宿り聖堂」教会の真下にある。
(ロザリオ大聖堂は地面レベルの1階、無原罪の御宿り聖堂の出入り口はスロープのある2階)

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少女ベルナデットが聖母マリアに指示されて掘った穴(湧き水)をみようと、信者や観光客で長蛇の列。さすがは聖地だけあって規則正しく並んでいる(病人優先)。そして泉の前には祈りを捧げる信者がたくさんいる。少女ベルナデットが掘ったとされる泉はアクリル板で覆われている。

洞窟内の岩壁の割れ目からも泉が湧き出ており、信者はその水を手に取り、顔や身体に塗っていた。そのせいか、手が届く限りの範囲の岩肌はツルツルになっている。

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(泉が湧く Le Gotte)

なお、取水用蛇口はここから横に20mほど離れた所に給水場が有り、ズラリと並んだ蛇口から、各自様々な容器を持った人々で、時間帯によっては大混雑する。約122,400L/1日、地下1,002mから湧き出している。

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アフリカン・ママは、水タンクを頭に乗せていた(笑)

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聖域では4月初旬〜10月下旬の毎晩21:15より、夜のミサ Processions Mariale(ロウソク行列)が行われる。ロウソク=火は、信仰と希望の象徴である光。

神輿に乗せたマリア像をロザリオ大聖堂前に置き、聖母マリアが出現するシーンを再現すると、各国の信者代表が朗読・賛美歌「アベ・マリア」を捧げる。ロウソクを持った信者がステージに集まってきて祈りを捧げる。この数がスゴイ!

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病人はボランティアの看護師が搬送する。医師も含め、なんとボランティアの多いこと。常時、介護を必要とする人1万に対して3万人のボランティアがいる(ボランティアは年間通算8万人動員)。

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教会前の広場の半分以上が、ロウソクを持った信者で埋め尽くされる。

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(エスプラナード・デ・プロセスィオン:奥がサン・ミッシェル門)



尖塔の上部聖堂「無原罪の御宿り聖堂」、その手前に張り出した下部聖堂「ロザリオ大聖堂」。

長らく修復工事中だったが、2013年03月11日より公開。ファザードの窓をつぶして独特の(漫画絵ぽい)モザイク画になった。ロザリオ大聖堂は1889年、聖域内で3番目に建てられた。

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手前にあるロザリオ大聖堂。

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ロザリオ大聖堂の背後、スロープを上がったところに、聖域で2番目に建てられた無原罪の御宿り聖堂の出入り口(無原罪の御宿り聖堂は、一般的な教会と内部はほぼ同じで約700人収容)がある(=青丸)。その真下に、聖域で最初につくられた(こぢんまりとした)地下聖堂につながる出入り口(=赤丸)がある。

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出典:Google Map

《無原罪の御宿り聖堂》(上部聖堂)は岩山の上に1866年に着工、1871年に完成。

《Crypt》地下聖堂。無原罪の御宿り聖堂の真下、岩山の上部にある洞窟を「聖母マリアの要請」で聖堂にしたもの。1866年に完成。少女ベルナデット出席のもと、主任司祭ペイラマル神父・タルブ教区ローレンス司教によって祝別式が執り行われた。

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(ロザリオ大聖堂の上より撮影)

さて、ロザリオ大聖堂。

1883年7月着工、1889年6月工事が完了(1901年10月6日献堂式)。岩山を掘削をして建設したため難工事だったという。シルエットはロマネスク様式、内部の装飾はネオ・ビザンチン建築の伝統を受け継いでおり、1,500人収容可能。1929年、教皇により特権を与えられたバジリカ聖堂に格上げされた。

内部もモザイクだが、漫画絵っぽいのは同じ。

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聖ドミニコにロザリオを手渡す聖母マリアのレリーフ。山岸涼子というか萩尾望都というか、そんな感じの聖母マリア。2006年修復のモザイク画。

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堂内には15の祭室が設けられ、ドームは天国を現しているらしい。

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外壁はRupnik神父制作のモザイク画。

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聖母マリアは少女ベルナデットに「行って泉の水を飲み、身体を清めなさい」と言った。聖域内には信者が身体を清めるための沐浴場があり、信者でここもまた大混雑。

9:00〜11:00(日・祝除く)、14:00〜16:00
男性用が6、女性用が11の浴槽がある。

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水色と白のストライプのカーテンの奥に脱衣所、更にその奥が沐浴場。全裸になりボランティアが用意したシーツ状のようなものを下半身に巻く。水温12度の水を溜めただけの沐浴場は1m×3m程の浴槽。祈りを捧げながら浴槽内を水中歩行で往復する(速やかに歩き出さないとドつかれるらしい)。聖水なので身体は拭かないまま服を着ることになる。

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沐浴場の並びにトイレがある。

実はトイレの水、沐浴の水、汲み出し用の水、同じ水源らしい。試しに(飲用可の)トイレの手洗水を飲んだが、全く同じ味だった。雑菌が含まれないので殺菌されていると思われる。

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沐浴場の隣に蝋燭を捧げる場がある。大小様々な蝋燭があるが、特大の蝋燭は係員が挿す。写真はアフリカン・ママが献納したもの。

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ま、一般的には、写真の蝋燭売り場(取水用の瓶も)で売られている蝋燭ですけどね・・・

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ルルドの水

ルルドの水が湧くピレネー山脈の麓の地層は石灰岩質。洞窟内は概ね石灰岩で出来ているが、他の岩層もあり。ルルドの水の蘊蓄によれば、「水に含まれる活性水素が活性酸素を除去、DNAの損傷を防ぎアンチエイジング効果がある」そうな。

検査によると、石灰岩質の自然ろ過で、不純物が極めて少ない、豊富な活性水素(原子状の水素)、カルシウムやマグネシウムを適度に含んだpH8のアルカリ性水、だそう。

蘊蓄と比較すると、アルカリ性水=アンチエイジングと関連、カルシウムを多く含む天然水(雪解け水など)=脳梗塞や心筋梗塞などを防ぐことがある、が実証されているので、あながちウソではない。

だが時間とともに豊富な活性水素は消えて普通の水に戻っていくため、水源地ですぐに飲む以外、身体に摂り入れることは難しい、そうだ。

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(ルルドの水を入れるメダイ付きの瓶を購入。私自身で取水した)

「奇跡の認定基準」はルルドの医務局およびルルド国際医療協会が、奇跡の定義に見合った案件を医学的基準から判断。パリの国際医学委員会での認定を経て、被治癒者の所管の司教が設置した吟味委員会が決定する。審査は4年〜10年前後が多いが、53年かかった例もある。

これまで約2,500件の案件が持ち込まれたが、奇跡=guerisons inexpliquees(医学的に説明不可能な治癒)と公式に認定される症例は68件となっている。直近では、2011年11月末に2つの事例が認められた。77歳の修道女が坐骨神経痛により両足が麻痺、手術を繰り返しても治癒せずルルドの水で快癒。43歳の女性が高血圧脳症に悩まされていたがルルドの水で快癒している。

なお、ドイツのノルデナウ水、メキシコのトラコテ水、大分の日田天領水も、ルルドの水同様、体内で悪さをする活性酸素を消去するらしい。


2007年にルルドを訪れたローマ教皇ベネディクト16世は、1. 少女ベルナデットが洗礼を受けた小教区の洗礼堂(サクレ・クール教会)→2. 「カショ」と呼ばれるスビルー家の家→3. マッサビエルの洞窟→4. 少女ベルナデットが初聖体を受けた養護施設の礼拝堂、の順序で各所で祈る巡礼を推奨した。

下記の写真は、少女ベルナデットが1844年1月に幼児洗礼を受けた小教区の洗礼堂=サクレ・クール教会。聖母マリア出現でその事象の相談を受けた主任司祭ペイラマルはこの教会所属。火災により焼失、1905年再建。

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サルディーニャ島西海岸ボーザ→アルゲーノ

バルバジア地方オルゴーゾからヌオロに出て高速道路に入る。

目的地は(野心的にも)スペイン・カタルーニャの影響を残す町アルゲーロ。


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サルデーニャ島はバルバジア地方以外は平坦なので無理すれば行け行けドンドンが可能。途中に寄りたい町はいくつもあったけど次回、次回!・・と言い聞かす。



ヌオロ→マコメル→ボーザ→アルゲーロと進む。

ヌオロ〜マコメルは平坦というか広大な盆地のような景色。民家はほとんどなく野原なのか放牧地なのかよくわからない。マコメルは地図表記的には大きめの町っぽいし鉄道駅があるので立ち寄ってみたけど肩すかし。

マコメル→ボーザは高速道路ではなく丘陵地帯を抜ける一般道だったが、思いの外、走りやすかった。西海岸の町ボーザまであと少しの集落スーニを過ぎると、海に向かって一気に下るのだが、目の前に・・・

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丘の上に城(セッラヴァッレ城 /Serravalle)、その下にパステルカラーな家々!

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これがボーザ Bosa という町だった。

セッラヴァッレ城は1112年にトスカーナ系貴族マラスピーナ家 Malaspina の侯爵が築城。その後、サラセン帝国などの襲撃を受け続けたため、14世紀頃から拡大工事を始め、スペインのアラゴン王国封時代に丘の上全体になった(現在の広さ)。だがロンプラによれば、場内には小さな教会があるだけで建物はほとんど廃墟とか。



ボーザで最も有名な建築物は、町から川沿いに2km遡った優れたロマネスク教会の一つ、11〜13世紀に立てられた聖ピエトロ・エクストラ・ムロス教会 Chiesa di San Pietro Extra Múros らしい。聖堂の西側が13世紀/中央が11世紀/東側後陣と鐘塔が12世紀の築造とかで見る価値はあるそうだ。

既に16時半を過ぎていたし時間がないので、残念ながらセッラヴァッレ城とともに割愛して、旧市街の町並みをみることにした。


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町の中心地の標高2m!



サルデーニャ島で唯一航行が可能なテーモ川の河口から2km遡ったところにボーザはある。(スペイン北部の)アラゴン領時代に交易で発展した。左岸の倉庫群(サス・コンツァス)は「なめし皮工業」が盛んだった時代の建築物。

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町はテーモ川と平行につくられている。

石畳が美しいヴィットリオ・エマヌエレII 通りCorso Vittorio Emanuele II は町のメインストリート。貴族の館が両脇に軒を構えていた。1階は金銀の線細工/珊瑚細工/木彫りなどの手工芸品が製造販売する店が入っている。

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石畳は1500年代に敷かれた。

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カテドラル Cattedrale

12世紀に最初の教会が建てられ、1809年に大改築した時に後期バロック様式になる(カトリック)。カタラン派のマリア像とイエスの像は16世紀の作品。

8月15日の聖母マリア被昇天の祝日 Ferragosto の日だったため行事に遭遇。聖母マリア被昇天とは「聖母マリアが亡くなるとき、肉体と霊魂を伴って天国にあげられた」とする記念日(のような)こと。

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夕方、カテドラルから聖母マリア像(場所によっては絵画)が出され、周囲を1周してからカテドラルに戻る。先頭は司祭ら聖職者だが、後ろの方は蝋燭などを手にした街の人々(信者)が行列をなしてついてくる。

23時〜0時頃に花火が打ち上げられて聖母被昇天祭は終了。
(爆音だけの3発の花火が、花火の終了の合図)

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なお毎年8月の第一日曜日、マリア像がボートでテモ川を渡るお祭りが行われる。午前中は河口のボーザ・マリーナにあるサンタマリアデルマーレ教会から大聖堂にマリア像が運ばれ、夕方に再び川を渡ってサンタマリアデルマーレ教会に戻る。

町の中心にある11月広場

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ヌラーゲ文化の最盛期の紀元前1000年から紀元前900年頃、フェニキア人はサルデーニャ島にやってきたが、ここボーザも重要な交易港だったようだ(内陸に住むヌラーゲ文明圏と交易を行っていた)。

フェニキア人を通じてヤシやオリーブの栽培、塩生産技術、漁業などを学んだ。島の鉱床を利用して鉄と金に関する知識を与えた。当時は物々交換で行なわれていた交易は、カルタゴ人の時代になり通貨を使用するようになる。8世紀頃はウマイヤ朝(アラブ人)からの継続的な侵略を受け、沿岸地に住む人々は奴隷として売られた時期もあった。

ボーザ。

コンパクトで趣のある城下町。
意外なほどに居心地がいいところだった。



ボサからアルゲーロまでの道は風光明媚な海岸線が続く(行程約45km/1時間)。
海岸線の道路の状態はかなりいい。

残念なことに日暮れ→夜になってしまったので、素晴らしいであろう景色は堪能出来なかった。



目的地アルゲーロは大きな町だった。

ホテルの予約なしに来たけど、観光客だらけで駐車場はもとより旧市街のホテルは全て満室。仕方ないので新市街の海岸沿いのホテルに宿泊。1泊180ユーロ(朝食付き)もしたけど仕方が無い。

ホテルのオヤジに旨い店を聞いて動くのが我々夫婦なのだが、あいにく、ロビーには(ややインテリの)ナイジェリア人従業員しかいなかった。彼は英語使いだけどレストランの知識はなく、知識なしに夜の旧市街に行ってみる。

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旧市街(城塞内)は観光客で大混雑…
聞こえる言葉は少しのスペイン語と大部分はイタリア語。

夜22時となれば、旨い店は閉店準備。ガイドブックで当たりを付けた店には「もう閉店」と軒並み断られる。とりあえず、まあまあかもしれないが、こーゆー非常時でなければ入らんぞ!と思われるレストランに入り(23時閉店をしつこく言われて気分悪しw)、カラスミ系の料理を中心に頼む。

熱々のパイ生地にトマト輪切りやマグロのからすみを削ったもの、アイスクリームなどを載せたもの。

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マグロのタルタル。
(からすみを摺り下ろしたものをかけている)

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からすみパスタ(2品とも)

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どれも旨くねぇ…


唯一、合格だったのは子羊のスネ肉のロースト。

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ボーサ産の赤ワインのフルボトル1本を付けて、120ユーロも取られた。
あ〜あ、悪い予感的中。

テイクアウトのピザでも食べていれば良かったよ…w


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テーマ : ★イタリア旅行★
ジャンル : 旅行

サルデーニャ島バルバジア地方2(オルゴーソロのムラーレス)

ガヴォイから山道を進む。


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目的地のオルゴーソロ Orgosolo の手前の町、マモイアーダ Mamoiada にもムラーレス(壁画)があった。

第二次大戦後、民主体制の構築に係わった(考え方が社会民主主義政党に非常に近い)イタリア共産党Partito Comunista Italiano, PCI の力が強大(1970年代には第一党に並ぶ勢力)になると「土地の国有化」の話が出る。※PCIは1991年に左翼民主党と改名。

サルデーニャ島のバルバジア地方は岩や石がゴロゴロしているため、耕作には不向きのために豊かではなく、ほとんどが農業と牧畜で生計を営む。体制が代わって国有化の話が出ると羊飼いや農民が激しく抵抗。その怒りを家々や岩などに《ムラーレス》と呼ばれる絵で表現した。

バルバジア地方では現在もムラーレスは描き続けられているが、生活を描いたもの、サルデーニャの伝統を描いたもの、時事・政治問題など視点は変わらず。これが現在では観光客を呼んで「村おこし」にもなっている。



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バルバジア地方 Barbagia の人々は第二次大戦戦前までこんな感じだったらしい。

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マモイアーダからオルゴーソロまでの道のり。

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オルゴーソロ Orgosolo はバルバジア地方の文化的な中心地。

1960年公開の映画"Banditi a Orgosolo"で有名になったが、1980年代までは山賊・盗賊がフツーにいた。

古代ローマ帝国支配時代ですらこの地区は占領に屈しなかったため、未だに独特の慣習が残っている。そんな地域なので今でも地元民の間で争いごとが多い。

オルゴーソロこそムラーレスmurales=壁画の発祥の地という。1975年頃から家々の壁に絵がかかれるようになり、21世紀に入ると世界各地で起きている紛争・貧困などを伝える題材が選ばれている。

1970〜1990年代までは「暗い」画風。
以降、色が鮮やかになり主張がはっきりしている。

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オルゴーソロは山の中腹にある集落で、特別に風光明媚でもなく、家々の建築も見るべきものは少ない。

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カフェは数件あるがレストランはほとんどない。



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オルゴーソロの下の方の地域では祭りをやっていた、ようで。

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オルゴーソロのムラーレスで1番有名なのが自然石に描かれたやつ。

撮影時は快晴だったが、これが夕方で曇天だとかなーーりコワイものに見えるそうだ。街中のムラーレスも私達が行った時は、盛夏バカンスの観光客だらけだし快晴だったから何もコワクなかったけど、人通りが少ない薄暗がりだったらコワイんだろうな…

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オルゴーソロ〜ヌオロ間、オルゴーソロから約3kmの幹線沿いにある。

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※ヌオロ経由で西海岸に向かいます。


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サルデーニャ島バルバジア地方1(バルーミニ〜ガヴォイ)

早朝に美食の都カリアリを出発。

「サルデーニャ島の原点」と言われる島のバルバジア地方 Barbagia(中央部)に向かう。古代ローマ人にラ・バルバジャ=山賊の地/蛮族の地、と言われた場所に行く目的は、ずばり「山の美食」と「ムラーレス Murales =壁絵」ですワ。

バルバジア地方は古代ローマ帝国の支配を最後まで拒んだ地域で、18〜20世紀初までコルシカ島との密貿易や誘拐・略奪行為などで生計をたてていたらしい。あまりの強行犯っぷりにイタリアでは誘拐事件=サリデーニャ人の仕業じゃね?とも言われた。

下の地図で言うと、セルノビ〜テッラルバ〜ヌオロの中の山岳地帯がバルバジア地方。


大きな地図で見る

カリアリから高速道路を経由してバルーミニ Barumini からガヴォイ Gavoi に向かう。

ヴィッラマルという田舎町の近郊を走り抜けようとすると、あらら、家々にムラーレス=壁画が描かれている。ムラーレスと言えばガヴォイよりずっっと先の山奥の集落で、バルバジア地方の中心地オルゴーソロ Orgosolo が発祥の地で有名。芸術的なミラーレスならフォンニ Fonni という町ね。

第二次大戦後、民主体制の構築に係わった(考え方が社会民主主義政党に非常に近い)イタリア共産党Partito Comunista Italiano, PCI の力が強大(1970年代には第一党に並ぶ勢力)になると「土地の国有化」の話が出る。※PCIは1991年に左翼民主党と改名。

サルデーニャ島のバルバジア地方は岩や石がゴロゴロしているため、耕作には不向きのために豊かではなく、ほとんどが農業と牧畜で生計を営む。体制が代わって国有化の話が出ると羊飼いや農民が激しく抵抗。その怒りを家々や岩などに《ムラーレス》と呼ばれる絵で表現した。

バルバジア地方では現在もムラーレスは描き続けられているが、生活を描いたもの、サルデーニャの伝統を描いたもの、時事・政治問題など視点は変わらず。これが現在では観光客を呼んで「村おこし」にもなっている。

こちらはヴィッラマル近郊の集落のムラーレス。

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絵のサインから1970年代後半〜1980年代前半、2010年前後に描かれたものに大別されていました。

バルバジア地方にはまだ独自の慣習が残っていて、教会には風変わりな偶像とかがあったりする。

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(盛んに行われていた自然崇拝の偶像かしら?)



大昔の話。

紀元前20世紀頃、東地中海からヌラーゲ人 Nuragheがサルデーニャ島に上陸、生活しはじめたとされる(現在、ヌラーゲ人の子孫が7000人以上存在)。

紀元前2000年〜紀元前250年頃(先史時代)、見晴らしのいい丘の上などに「ヌラーゲ」と呼ばれる、高度な建築術が施された独特の石造りの構造物が全土に約2万基つくられた(大小合わせて約7,000ものヌラーゲが現存)。最も有名なのは世界遺産にも指定されたスー・ヌラージ・ディ・バルーミニだが、そもそもヌラーゲは文書による資料が発見されていないため、未だ謎に包まれたまま。

バルーミニの町を通過するため寄り道してみてみた。

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(バルーミニ)

スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ Su Nuraxi di Barumini:ヌラーゲ建築の最盛期である紀元前1500年ごろより建設が開始され、3層のタワーになっている。四角い大きな石を塔の基部から頂点まで手作業で積み上げている。石と石の隙間には形に添った石をはめ込んでズレを防いだ。

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サルデーニャ島では様々なタイプの聖域 santuari があったとされ、ここで自然崇拝を行っていたようだ。特に重要なのが井戸のある聖域 tempio a pozzo で行っていたとされる水崇拝。この遺跡にも三角形の階段の下には泉がある。

ヌラーゲの外観は全体的に丸みを帯びているが、輪切りにすると細く狭い通路があって、1人は入れるかどうかの小部屋があるが、その形状や配置は様々。ヌラーゲの周囲に集落があり、人々が家畜と一緒に住んでいたようだ。

ヌラーゲを利用して上に砦を増築して再利用。

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大小合わせて約7,000ものヌラーゲが現存しているが、19世紀に決められた土地所有の境界線にヌラーゲの石を使われたり、20世紀に始まる道路網計画で舗装に石を使ったりしたため、保存状態の良いヌラーゲは数少ない。小さいヌラーゲは羊飼い小屋になっていたりする。

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(サルデーニャ島北部のヌラーゲ)



ガヴォイ Gavoi


大きな地図で見る

バルバジア地方の中央部に位置し、山岳都市としてはまあまあの規模の町。標高790mの町なので今では夏の避暑地のひとつとして人気がある。かつては馬具の工房が多く、この町から行商人が島中に散ったそうな。今は牧畜で成り立っている。

お勧めのレストラン「サンタ・ルーゲ」はあいにく休みだったため、旧市街にある煙草屋のオヤジに聞いた旨い店 Borello に行ってみた。

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一見、ただのカフェのようだが、どうしてどうして、スゴイ料理を出す店だった。

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ああ・・・・
何を食べても美味しい・・・
ここに1ヶ月間はいたい・・・
素朴で美味しい・・・

ワインも安くて最高に美味しい・・・

ワインのフルボトル1本にデキャンタ1本で総計57ユーロ。


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サルデーニャ島カリアリ5(最後の晩餐)

市場でカラスミをみたら、猛烈に「からすみパスタ」を食べたくなった。

こういう田舎では昼の部/夜の部と明確に分けて営業している店がほとんど。城塞とかで時間を食ってしまい選択肢の店は、観光客用でイマイチそうな店だった。それでもカラスミのパスタはある!というので入店。

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ところが・・・

この店、旨いじゃないの。

オットが調子にのって頼んだ前菜の数々もなかなかのもの。

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念願のカラスミのパスタ!

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う、う、う、うま〜☆


カラスミはイタリア語でボッタルガ Bottarga

パスタには摺り下ろして粉末状にして使う。作り方は簡単でペペロンチーノの最後にカラスミの粉末を蒔いて混ぜ合わせるだけ。

イタリアでも酒のツマミにカラスミは出てくる。この場合、薄切りにして出てくるのは日本も台湾も同じ。



夜のカリアリの路地には民族音楽を演奏する楽団がいる。

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レベル高いッ。しかもチップとか強請らない。



カリアリ最後の夜はホテルのオヤジ推薦の魚系居酒屋にいく。

Sa Schironado
(Su Cumbiduの兄弟店。筋1本をカリアリ駅側に行ったところにあり)



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量が多いとのことで本日も1人前を2人で食べる。

「ワイン?」と聞かれたので、「ワインとビール2本」と頼んだら、テラコッタのカラフェに入った(魚系居酒屋なので)白ワインがドーーーーンと置かれる。

前菜が次から次へと。

この店は予算に応じて5段階のコースがあるようで、でもまだお腹はペコペコではないので品数が少ない1番安いコースにしてみた。

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そして主菜。

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至福でした。

デザートワインはのんだけど、デザート菓子はキャンセル。

どんだけ食べるんだ?
サルデーニャの人は…( ̄○ ̄;)

白ワインのカラフェ(500ml)3杯に瓶ビール2本も込みで総計42ユーロ。


安ッ!



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サルデーニャ島カリアリ4(観光)

カリアリ旧市街の丘は、11〜18世紀に支配者ピサ人とアラゴン(スペイン北部カタルーニャ地方周辺)人によって作られた。丘の防御壁に囲まれ、壁の内側には城塞の博物館、カテドラル、見張り塔、古い街並み等がある。

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城門の塔に登れる。

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城塞内の旧市街〜海をみる。

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海側の門は一際頑丈。

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(防御壁内からみた門)

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(防御壁外からみた門)

壁内のカテドラル

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主祭壇

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主祭壇の下に部屋があり、まあこの部屋がゴージャスなこと。

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城門を出て外周の防御壁を出ると・・

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丘の下の旧市街を散歩。

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古くから営業しているカフェ。

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(カフェ・アメリカーノを頼んだら、エスプレッソに熱湯が出てきたよw)

家々の外壁がカラフルなせいか、コルシカ島と違ってとても華やか。
町の感じはシシリア島に似ている。

食事も美味しいし古くからの貿易港だったせいか、人々が皆、明るい(サルデーニャの他地域は概ね寡黙な人が多い)。カリアリ、お気に入りに入れましたッ!


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サルデーニャ島カリアリ3(サンベネット市場の野菜など)

サンベネット市場の2階は野菜、チーズ、肉などの売り場。
気の利いた立ち飲みカフェ、軽食もある。

つかれたのでカフェで(朝から)サルデーニャ島の地ビールをのむ。これは日本のヱビスビールに似ていて美味しい。かなりイケますぜ。しかも大瓶1本2ユーロせず。

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振り向けばサルデーニャの人が握る寿司屋がある。テイクアウトもできる。私達が「日本人でーす」と言ったらいきなり緊張する職人(笑)

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サルデーニャ産ワイン

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ほとんどがサルデーニャ産チーズのチーズ屋。人の人口より羊の数の方が多いらしい。

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肉屋

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圧巻は野菜売り場。
萎びたものなど一切なし!

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お?下にエスカルゴ?

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そう、カタツムリは野菜売り場か果物売り場で売ってまーす。

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カタツムリ(フランス語ではエスカルゴ)はイタリア語では ルマーケ Lumache という。

イタリアの南部ではよく食べる。メロンやトマト、葡萄畑に寄生する虫だから当たり前なのかも。下茹でしてトマトで煮るのが一般的。肝機能を高めたり、疲労回復などの効果がある。

内臓に入っているモノを吐き出すために、ネット(網)に入れて1〜2週間ほど放置する。カタツムリは夏に休眠するがこの時期のモノが美味しいとのこと。実際に食べたけど、味もクセもほとんどなくよくわからん。。。



市場内にカリアリ・カルチョ Cagliari Calcio s.p.a. の旗。

2000年創設のサルデーニャ島カルアリを本拠地とするサッカークラブチームで、2004-05年度からセリエA所属。今年度から本拠地をスタディオ・イス・アレナスにしたが、安全面に問題有りとかで使用不可の決定が下っている。

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カリアリのマッシモ・チェッリーノ会長は「セリエA屈指の名物会長」で、年間3~4回の監督交代も珍しくないため、セリエAの下位に定着している。サポーターはもはや諦めの境地だそうな。

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サルデーニャ島カリアリ2(サンベネット市場の魚)

カリアリの要塞の東側の傾斜地にイタリア最大の一般向け市場「サン・ベネット市場」がある(2階建て8,000平方メートルで1957年に完成)。傾斜地なので正面入り口は2階になる。

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見た目は地味で経年劣化が顕著でつまらない建物だが入って吃驚!

何がスゴイって1階のほとんどが魚市場!
その大半が獲れたて☆

そして写真撮影は自由だし「魚だけではなく俺も撮って」なるモード。魚売り場は笑顔炸裂で如何にもオトコという男前が多い。イタリアの何処よりもイイ!

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蟹味噌を生のまま啜る。

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巨大なカジキマグロ!

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スペイン統治時代が長かったためか、塩漬けにした乾し鱈も売っている。

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サルデーニャ島では伊勢エビも一般的。

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サメも食べる。

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サメの皮は固いので短刀を使って少しずつ切って皮を剥ぐ。

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サルデーニャ島といえば「からすみ」

島の西部海岸沿い、オリスターノというやや大きな町の西は大きな汽水湖があり(中心の町はカブラス)、ここがボラの産地(うなぎも獲れる)。ボラ漁は5月〜9月。

獲れたボラは塩水で丸ごと1時間半前後茹でて、そのまま翌日〜3日間程度漬けておく。卵巣を取り出して洗い、乾燥させた水辺の草(ズィーバ)で隙間なく置いて包んで熟成させて10日間ほどで完成。この作り方はフェニキア人からの伝承だそうな。

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総菜屋コーナーに行けば、うなぎも売っている。

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サルデーニャ島に住みたくなった☆



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サルデーニャ島カリアリ1

サルデーニャ自治州の州都カリアリ Cagliari(サルデーニャ語:カステドゥ Casteddu)はサルデーニャ島の南部の港町で「城」の意味。


大きな地図で見る

紀元前7世紀頃、サルデーニャ島での貿易植民地の一群の一つとしてフェニキア人がこの町をつくった。当時の名前はカラリス Karalis(古代ギリシャ語:Kalares/ラテン語:Càralis)。天然の良港であるカリアリ湾に面した大きな貿易港は今も活躍中。

ローマ帝国時代は港の重要性からローマ植民地ではなく直轄地ゆえ、島民はローマ市民の権利を得ていた。

ローマ帝国末期にヴァンダル族 Vandal(北アフリカの現在のチュニジアはカルタゴを中心としたヴァンダル王国を建国)の領土となるが、まもなく東ローマ帝国の中の1つの独立国になる。だが北アフリカからムーア人(ベルベル人:イスラーム教徒)が度々責めてきて町は荒廃する。

11世紀にイタリアのピサ共和国が町そのものを再建。だが14世紀にスペインのアラゴン王国が、のちにスペイン帝国の支配下になる。1720年にオーストリアはハプスブルク家の事実上の支配、その後はサヴォイア家 Casa di Savoia のものとなる。ピサ〜スペイン時代につくられた丘の上の防御壁は現存。

1870年代からのイタリア統一運動でカリアリは発展するが、第二次大戦では連合国側からの激しい爆撃を受けた。そんな町だが今は戦争の傷跡はほとんどない。サルデーニャ島の1/3の人口を占める。



カリアリ港に面するローマ通り沿いの旧市街。

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海岸沿いに面する建物の下はアーケードになっている。

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ちょっとした官庁街。

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旧市街は1943年の第二次世界大戦下でのカリアリ大空襲で、半数が完全に破壊されたのち再建されている。

それはともかく・・・

夜飯はローマ通りの裏側の下町、通称グルメ街にある肉系の郷土料理居酒屋へ。

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Su Cumbidu
Via Napoli, 11/13



そしていきなり「何人分?」と聞かれる。
そうこの店は問答無用のセットメニュー。
量は多めと言うので2人で1人前をたのむ。

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(カウンターは基本的に席待ちの客しかいない)

飲み物はハウスワイン。
何もいわなければテラコッタのカラフェに入った赤ワインがドーーーン。

前菜が紙のようなパンのパーネカラサウ、その上に生ハムやサラミ、最高に美味しいペコリーノチーズが乗ったもの。

パーネカラザウはセモリナ粉の薄焼きパンで、両面焼きや片面焼きなど焼き方にも種類はあるが、今もサルデーニャ島に住む羊飼いの携行主食。カルタ・ダ・ムジカ(楽譜)とも呼ばれ、パリパリの食感がいい。

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木を刳り貫いた皿に野菜&茸のマリネ。

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ものすごーーーく美味しかったミートボール

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カタツムリのトマトソース煮

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パスタ
クルリジョネス、ジャガイモとリコッタを詰めたパスタ…すでに腹が膨れてww

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そしてまだ来る来る…肉料理。

マイアリーノ(子豚のロースト)、子牛のロースト、ストゥファースト(シチュー)・・うまい。うまい。美味しい。サイコーに美味しい。しかし…満腹。

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食後のデザートは各種一口菓子にデザートワイン。

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ワイン2杯おかわりして総合計で32ユーロ!


安ッ!



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サルデーニャ島サンタテレザ→カリアリ

イタリア領サルデーニャ島(Sardegna)

綴りはサルデーニャ語ではSardigna, Sardinna, Sardinnia /イタリア語ではSardegna/カタルーニャ語ではSardenyaで、地中海ではシチリア島に次ぎ2番目に大きな島。

コルシカ島とはボニファシオ海峡(フランス語:Bouches de Bonifacio、イタリア語:Bocche di Bonifacio、イタリア語読みではボニファーチョ)を挟んで対面している。海峡の幅は11kmしかない。


大きな地図で見る

サルデーニャ島はアフリカ大陸のリビアの対岸にあるため、島最南部の田園地帯にあるデシモマヌー基地は、リビアのカダフィ政権の軍事施設に空爆を続けるNATO軍の出撃拠点となった。この基地だけで一日平均10機がリビア爆撃に飛び立つ。

イタリアの大手媒体は認めていないが、地元では「出撃する爆撃機には劣化ウラン弾が積まれているようだ。地下深くに建設した巨大施設を爆撃するには、固いコンクリートを撃ち抜く弾頭が必要となるためであるから」と認識している。



サルデーニャ島の玄関口はサンタ・テレサ港。
ショボい港だった。

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(コルシカ島に戻る際、フェリーから撮影)

港の岩山を挟んで西側はサンタ・テレーザ・ガッルーラという町。ここが小さいながら居心地のいい町だった。比較的新しい町だったけど、食べ物は安くて美味しいしホテル代も安くそれなりに数もあった(サルデーニャもコルシカもホテルが少ない)。

サルデーニャ島からまたコルシカ島に戻らなくてはならないので、ちょっと街中チェック。

正面にコルシカ島が見える。
約11kmしか離れていないからねぇ。

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右側の岩山を超えるとサンタテレザ港

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ここはホテル代も安く手頃なレストランも多いので人気の町。



サルデーニャ島は中央部のヌオロ〜マコメルより南が山だけで、基本的に起伏に乏しい。

私達のようにフランス(コルシカ島)からレンタカーを持ち込んだ観光客は少ない。欧州人はどっちかの島だけにしか行かないようだ。言葉は近いけど人の行き来はあまりないそうだ。

道路はコルシカ島のアジャクシオ〜ボニファシオ間よりはいい。だが路肩スペースが極端に少ないのと、センターラインをはみ出して走行する地元民が多すぎる。特にカーブではひどかった、こわいのなんの。


大きな地図で見る

サンタテレザ港に戻り、オルビアを目指す(最終目的地は野心的にも南部カリアリ)。

ドライブインのような所で遅い昼食をとる。
全く期待していなかったが大層、美味しかった!

サルデーニャ島では必ず出てくる(紙のように薄いパン)パーネ・カラザウが入ったパンのセット。パーネ・カラザウは羊飼いの携行食。

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ジャガイモとタコの和え物。
塩加減、タコのゆで加減、パーーーーファクト!

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どのパスタも最高のゆで加減。
ソースは手を掛けていないっぽいが、これが抜群に美味☆

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カフェ・アメリカーノ(アメリカンコーヒー:薄いコーヒー)を頼んだら、エスプレッソと湯が出てきた。イタリアに行くと昔はこういう小馬鹿にした出方だったなぁ。懐かしい(苦笑)!

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さっすがはイタリア。
コーヒー旨いッス!



オルビア〜カリアリは高速道路(無料)。

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オットのリクエストでバルバジア地方 Barbagia 北部の山岳都市ヌオロ Nuoro に立ち寄る。

ヌオロ以南は山岳地帯で、諸国からの侵略を受け続けたサルデーニャにあって、唯一、独自の文化を守り抜いた場所(キリスト教化したが…)。ヌオロはその玄関ということで期待したが、行った時間が夕方ということもあったのだろうが、町は比較的新しく期待はずれ。ホテルもほとんどなかったし。

旧市街とおぼしき場所をさがして散策していると・・

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ん?

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こ・こ・・これは?

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共産主義マークだっ!

イタリア共産党?
(Partito Comunista Italiano, PCI)
1970年代は与党だったっけ。

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マルクスの文字が・・・

1970年代、イタリア共産党の綱領からマルクス・レーニン主義やプロレタリア独裁を放棄した(ユーロコミュニズム路線)。そういえば5代目書記長エンリコ・ベルリンゲル Enrico Berlinguer はサルデーニャ島(西北部サッサリ)出身だった。

それゆえに支持者が多いのかな。



高速道路を爆走し、南部の州都カリアリに着いたのは19時半・・・

2泊したカリアリは驚嘆すべく「美食の都」だったのよ〜☆

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テーマ : ★イタリア旅行★
ジャンル : 旅行

コルシカ島:Bonifacio

コルシカ島2日目
南端のボニファシオ(フランス語:Bonifacio/コルシカ語:Bunifaziu)。

ボニファシオはコルシカ島に南端にあり、ボニファシオ海峡を挟んでイタリア領サルデーニャ島と向かい合っている。ボニファシオにあるボニファシオ湾は幅200m、長さ1.5kmという細長さ。両岸には石灰岩の岩肌が迫る。


大きな地図で見る

湾の外海側は「指状」になっててその先端(湾の出口)には大きな岩山があり、岩山の上は平らになっていて、ここに要塞(旧市街 la Haute Ville)がある。湾から登ってみた。

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(要塞の真ん中付近から見たボニファシオ湾)

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要塞の岩山はなかなかの景観!

見る角度を変えてみるため、ちょっと登ってみた。

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(ボニファシオ湾出口方面をみる)

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(Grain de sable:要塞から東側をみる。断崖絶壁が続く)

崖下には大きな洞窟がいくつかあり、要塞の突端の下の洞窟は「青の洞窟」として、波が穏やかな時は洞窟内に観光船が入っていく。



828年、ボニファシオはローマ教皇庁から島の防衛を命じられた(=初代トスカーナ辺境伯)コロンナ家ボニファーチョ2世にちなんだ地名をつけられ、要塞が形作られた。ボニファーチョ2世は難攻不落の要塞(自信の海軍基地)と、トスカーナ辺境伯所有の海軍基地を建設した。

現存するシタデルの大半は、1195年以降のジャノヴァ共和国支配下での建築とされる。その後、数回の修繕(再建含む)がされている。近年まではフランス外人部隊の支部があった。

コルシカ島の町の中では最も見応えがある要塞はここにある。

現在も機能している要塞の入り口。
(車が通る)

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要塞内は旧市街。
la Haute Ville(上町)またはvielle villeと呼ばれる。

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ナポレオンはフランス軍士官時代、ここに駐留していた。

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場所が場所だけに華美な建築物はない。

道路は風の通り道どおり。旧市街の中の道路は狭く城壁際は迷路のようになっている。

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気になる喫茶店に入ってみたら・・

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すごい景観だった(コワッ!)

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教会

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昼のフェリーで対岸のイタリア領サルデーニア島にわたる。

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ボニファシオ湾を出たところ。
要塞の先端から要塞内の旧市街が見える。

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(要塞下のこの洞窟は出入り口の形状から「ナポレオンの帽子」と呼ばれる)



ボニファシオ海峡からみた旧市街

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よーくみると「アラゴン階段」が。

1420年につくられた階段。海上からの高さ80mの崖の表面を、斜め45度に掘って187段の階段をつけている。

つくるのを命令したのは(現在のスペインの北東部にあった)アラゴン王国アルフォンソ5世。当時、イタリアのジェノバ共和国やナポリ王国へと軍勢を進めており、その過程の1420年にコルシカ島の(イタリアはジェノヴァの支配下にあった)豪族をボニファシオに追い込んだが、結局、要塞は戦争では陥落しなかった。

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サルデーニヤ島とのカーフェリーが行き交う。
1日に5〜8本あり。

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普通サイズの乗用車に運転手+助手で70ユーロくらい。
1時間くらいの船旅。



コルシカ島の歴史。

ギリシャの影響を受け、紀元前238年から紀元前3世紀までローマの支配下に置かれたが、5世紀頃にローマ帝国が分裂すると、アフリカ大陸アルジェリア方面等の蛮族(海賊)に襲われコルシカ島は荒廃。11世紀までの約600年間、人々は山岳部に逃げて自給自足の生活をした。こういう事情からコルシカ島には蛮族が信仰するイスラーム教もキリスト教も根付かなかった(暗黒時代という)。

数度の十字軍遠征でヨーロッパからイスラーム勢力が駆逐されると、ローマ教皇庁はコルシカ島でもキリスト教布教するため、イタリアのピサ共和国にコルシカでの領有を認める。ピサの活動は宗教的なものが主だったため、平和な統治期間だったようだ(1077〜1284年)。

1195年、コルシカ島支配を狙うイタリアのジェノヴァ共和国は、ローマ教皇庁とピサ共和国の目が届きにくい島南端のボニファシオを攻略、砦を要塞化する。ピサ共和国の抗議を無視して島内の主な海岸に次々と要塞を築城する。

1284年、ジェノヴァ共和国はピサ共和国を「メロリアの海戦」で滅ぼしてコルシカ島を支配下におく。ローマ教皇庁は「布教活動の確約を宣言」したジェノヴァ共和国の支配を渋々認めたが、コルシカ島民は重税と物価高、徹底した弾圧を受けた。島の有力者は島外に連れ出し、反乱の芽を摘むべく敵性住民は殺戮した。

1724年、サンピエルの指導で10年間に及ぶジェノヴァの圧政に対する反乱が起きる。フランスはサンピエルを支援したものの、ジェノヴァ共和国とあっさり和解したため(カトー・カンブレジス条約)、サンピエルの反乱軍は鎮圧された(サンピエーロの乱/第1次蜂起)。

1729年末、本格的な反乱は徴税を巡るトラブルから山岳地帯コルテから起きた。反乱は小規模なものだったのでジェノヴァ共和国は放置していたが、反乱は次から次へと起きたため、手が付けられないものになった。

コルシカ島の自治組織(12人委員会)は1736年、一介の山師だったケルンのノイホフ家テオドールを「コルシカ国王テオドールⅠ世」として迎え入れた。だが国王は貧しさを嫌って摂政数名を任命して逃亡、ジェノヴァ共和国の抵抗にも遭って2年で退位。皮肉にもこのコルシカ王国は欧州発の立憲君主国家となった。

ナポリ王国に追放されていたパスカル・パオリを将軍として召還。パオリは優れた指導力により島の内陸部からジェノヴァ勢力を駆逐。

1755年、「コルシカの独立宣言」をし、パオリを首班とした独立政府を樹立した(首都はコルテ)。近代国家の原型をつくったパオリは今もバーブ・ヤ・バヂュリア(祖国の父)として崇められている。

一方、借金苦のジェノヴァ共和国は1768年、フランスとの間でヴェルサイユ条約を締結。条約の内容は「フランス軍をコルシカに派兵/コルシカ独立運動を鎮圧したら99年間は島の統治権をフランスに譲る」というもの。フランスはアフリカ大陸への足がかりとしてコルシカの支配を狙っていた。

1769年、進軍したフランス軍の大攻撃により、コルシカ軍は降伏してパオリはイギリスに亡命。フランスはコルシカ島を併合してコルシカ独立戦争(40年戦争/コルシカ革命/第2次蜂起)は終わった。

コルシカ島アジャクシオ出身のナポレオン・ボナパルトの父親は弁護士で、この独立運動に参加していた。だがナポレオンが生まれた頃の父は、宥和政策を行った支配者フランスに迎合し下級貴族の仲間入りした(コルシカ時代の名前:ナポリオーネ・ブオナパルテ)。

フランス革命がおきる。コルシカ島独立運動に参加していた(フランス軍中尉となっていた)ナポレオン・ボナパルトだが、「フランスの騒乱中ならコルシカが独立出来るかも」と考え、国民公会(フランス新政府/フランス革命政府)を容認した。

パオリは国民公会の許可を得てコルシカに帰還したパオリだが、ルイ16世夫妻および一派の処刑など、革命をエスカレートしていく国民公会を次第に嫌った。パオリらは「コルシカ島の英国間接統治」を主張するパオリ派を形成。国民公会容認派のナポレオン(ボナパルト家)と対立した。

1793年、国民公会はパオリに逮捕状を出したが、逆に国民公会に従順なボナパルト一族を島から追放した。彼らはマルセイユに逃げた。ナポレオンはコルシカ独立運動と決別する。

1795年、パオリは英国軍とともにコルシカ島に上陸。「アングロ・コルス王国」を築くが、副王ギルバート・エリオットと対立したため、英国政府の命令で英国に三度目の亡命。

1796年、フランス軍司令官となっていたナポレオン率いるフランス軍のコルシカ島派兵により、島は再びフランス領となる(1807年に英国で死去)。

そのナポレオンは後にフランスの皇帝となるが、1814年の失脚後は「コルシカ人=ナポレオンの同郷者」として脅威と差別の対象になる。

フランスの作家等は文明国フランスとは大きく異なるコルシカ島を、「因習的で野蛮」と書き立てた。このため、コルシカ人は国籍はフランスであってもフランス人ではない、とみなされた。

第二次大戦中、コルシカ島はイタリア軍によって占領される。

フランス本国からの差別もあって、島民の中にはレジスタンスに身を投じる者も少なくなかった。このことにより(フランス領内では)いち早く、1943年には連合軍によって解放された。

戦後のフランス政府はコルシカ島に対して大規模な観光開発や農業開発を進めたが、フランス本土から投資等で入ってきた富裕層、アルジェリアからの再入植者たちが恩恵を受けただけゆえ、1960年代以降は民族主義運動が高まり、固有の言語コルシカ語を公然と使った。

コルシカ解放戦線(FLNC:Front de Liberation Nationale de la Corse)はフランスからの完全独立を求める暴力路線にまで発展したが、1983年にコルシカの要求を受け入れる形でフランス政府がコルシカ議会の開設を認めてからは、そうした独立運動は沈静化しつつある。

だがFLNCは解散命令にもかかわらず現在も非合法活動継続中。別荘が攻撃対象となっる事案が多く、コルシカ資本以外の企業が海のそばにホテルや観光施設が建設が始まると爆破事件が起きたりする。爆発事件は複数回起きるため、巨大ホテル計画は頓挫するそうだ。

近年、経済状態が思わしくないフランスでは、一部の政治家からは「いっそ(維持費にカネがかかる)コルシカ島を独立させたら?」と言い出している。コルシカ島では逆に難色を示していて皮肉な結果に。。



このような経緯からコルシカ島はフランス領だが、固有の言語コルシカ語はかなりイタリア語に近いことから、「フランスよりイタリアに親近感をもつ島」となっている。

実際にコルシカの人と話しても「サルディーニヤの島民とは普通に会話できる。何故なら私達の言葉と近いからね」とのこと。

ナポレオン・ボナパルトはコルシカ島出身者として有名だが、コルシカ島では「父親がコルシカ独立運動に参加した経緯がありながらフランスに迎合して(下級)貴族になり、息子はフランス皇帝になってもコルシカ島の独立を認めなかった」として人気はない。


夏のバカンスで世界各地から旅行者が100万人以上訪れるらしいボニファシオ。

パリス・ヒルトンはここでドラッグで捕まっていました(笑)


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テーマ : フランス旅行
ジャンル : 旅行

コルシカ島:Ajaccio→Bonifacio

フランスは南仏マルセイユでオットと合流。

翌朝、コルシカ島はアジャクシオに飛ぶ。

欧州のバカンスシーズンなので日本で予めレンタカーを予約していたのだが、ご覧のような大混雑。予約時(申込時)にかなり細かく個人情報など記入させられるので、オンライン化の今、サッと済むような気がするが長蛇の列はなかなか進まず。

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2時間くらいかかってようやく車(オペル)を借りられたw

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アジャクシオはコルシカ島を含むコルス地域圏(コルス地方公共団体)の首府。ナポレオンが生まれた町として有名だが、コルシカ島の独立を阻んだフランスの皇帝に就くも、生い立ち等から「コルシカを裏切った者」と地元民には人気が無い。ダントツ人気は今も独立運動指導者パスカル・パオリ(1725-1807)。

このアジャクシオは帰りに寄るのでとりあえずパスして、一路、南端のボニファシオに向かう。

途中、巨石文明の地(人物の彫塑のある石柱など現存)に寄ったりして港町のプロプリアノで休憩。のんびりとした町で海水浴客がマターリしている。

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国道はまた山に入り、サルテーヌ(Sartène/コルシカ語ではSartè)という小さな町で観光。

ここには16世紀初頭の花崗岩でできた建物が要塞のように建っている。16〜18世紀頃まで(地中海を挟んだ北アフリカのアルジェリアの)アルジェ海賊に度々襲撃され、財宝や人々を連れ去った。

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町は観光とサルテーヌ産ワインとオリーブで潤っている。

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(オリーブ油の店;渋ッ)



サルテーヌから南端のボニファシオまでの道は、まるで南インドのハンピのように巨石がゴロゴロとした山が続く。耕作にはまったく適さないようでほとんど村落はない。

この時期、自然発火で山火事が起きやすいため、消防車が待機しているのをみる。

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遠くにサルデーニア島がみえる・・

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人気の無いところを延々と走り続けたら、いきなり深い入り江に出た。

ここがボニファシオ(フランス語:Bonifacio、コルシカ語:Bunifaziu)。コルシカ島南端の主要港だが、このボニファシオ湾は幅200m、長さ1.5kmという細長さ。両岸には花崗岩の岩肌が迫る。

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(湾の出口方向から湾の奥をみる)

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(宿泊したホテルの部屋から湾の出口方向をみる)

湾の出口には大きな岩山がありここに要塞がある。
要塞内が旧市街になる。

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探索は明朝にして、夕飯を食べる。

ボニファシオはコルシカでも有数の観光地のため、観光客プライス!

海鮮タルタル(生海鮮のみじん切りをマヨネーズのようなもので和えたもの)。これで24ユーロ!

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ロブスターの薄切り。
これで28ユーロ!!

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ごった煮のブイヤーベース。
まあまあ美味しかったけど冷凍っぽい。
これで50ユーロ!!!

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このブイヤーベースと赤ワインの相性が悪くて、深夜までえらいめに遭ってしまった。まあ、二度味わえたことになるのでいいか(良くない)w


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テーマ : ★フランス旅行★
ジャンル : 旅行

マルセイユ近郊Cassis

マルセイユにずーっといても芸がナイので、マルセイユのMarseille St Charles 駅から近郊列車に乗ってCassis駅まで行ってみた(15~20分)。

駅からは港行きのバスには乗らず、オリーブとブドウ畑を見ながら30分ほど歩く(暑くて暑くてすぐ後悔したw)。

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カシの海岸はマルセイユ在住者の海水浴場らしい。

泳げる期間が年間で3週間ほど敷かないので芋の子状態。ここは子連れが多いのでトップレス(おっぱいポロ〜ン)も全裸もいない。

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一方、港側にはかわいい家(元漁師宅や船倉庫)が建ち並ぶ。

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こういった小さな町での楽しみはワインと食事。

カシは葡萄の産地。
地場産の安くて美味しいワインがある。

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オリーブを漬けて何かをまぶしたもの。
これがとてーーーも美味!

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目を外にむければカナイユ岬(欧州で最も高い断崖絶壁の岬)がみえる。マターーりのワインを楽しむ。至福☆

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お腹が空いてきたので本日のランチ(24ユーロ)を頼んでみた。

Soupe de Poisson(魚のスープ)

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うーーーむ、美味しい。
濃厚だ!

次、メイン

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うーーーむ、美味しい。

次、デザート

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うーーーむ、美味しい。

安いランチではないが質や値段はマルセイユよりはお得かな。
(観光シーズンだから仕方ない)

この店のトイレはちょっと変わっている。

センサーに触れると、便座がくるくる回りだして便座を水洗いする。ただし拭く器具のクオリティが悪いので、便座はびしょびしょに濡れたままだけどw

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やることがないので3つのカランク(入り江)巡りの観光船に乗ってみた。

目を見張るほどの絶景ではないが水の透明度は抜群(たくさん魚が泳いでいる)。ま、過大な期待はしていなかったので、これはこれで良し。

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カランクの成り立ちとか見所とかのアナウンスは全てフランス語でちんぷんかんぷん。でも説明は地球の歩き方に載っているのでOKかな。クルーズは45分。15ユーロくらい。

港に戻ると夕方を過ぎたためか、だいぶん静かになっていた。

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路地裏歩きもなかなかいい。

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蝉(cigale)の飾り物。

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日本人からすれば蝉は珍しくもなんともないが、フランスの中北部には蝉がいないし、生息している南仏地方でもさほど見かけない(種類も少なく小型で鳴き声は単調)。

プロヴァンス地方では蝉の図柄の布とか飾り物が売られている。

蝉は「幸運/守り神」のシンボルらしい。

へ〜え。


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ジャンル : 旅行

マルセイユでブイヤーベース♬

ご無沙汰しっぱなしでスイマセン!

忘れないうちに(忘れかけているけど)8月のコルシカ島&サルディニア島のバカンスをササッサ…とアップします、今頃だけど。

8月のお盆期間は航空券が異常に高い!
夫婦だと値段は全て2倍になるのでこれは痛い…
なので、妻の私が先にフランスへ行きましたの(えへへ♪)

フランス本土からコルシカ島へ飛ぶ都合上、オットとは南仏マルセイユで待ち合わせ。パリで待っていてもいいけど物価は高いし、この時期に安くて美味しいものにはありつけないので(こういう店はシェフが不在)。

マルセイユは1998年のワールドカップフランス大会で滞在。それなりに観光をしてしまったため、食い道楽に徹することにした。それに暑い…湿気は少ないけど日差しが痛いので、暑いのが苦手な私には観光は不可。

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(マルセイユ旧港からノートルダム・ド・ラ・ガルド教会をみる)

ホテルにチェックイン後、まず、旧港東側に行って昼食。事前に何軒かピックアップしていたけど美味しい店は14:00で閉まるところが多い上にやや遠くて、下記の店しかなかった…

伝統的なブイヤーベースの専門店:Restaurant Miramar
12, quai du Port - 13002, Marseille
12:00~14:00、19:15~22:00 日・月曜定休
http://www.bouillabaisse.com



ブイヤーベースは地中海沿岸の漁師が、売れ残りの魚を鍋で煮込んだことから始まったもの。本場といわれるマルセイユにはブイヤベース憲章(La Charte de la bouillabaisse)があり、伝統の味にこだわるレストランが何軒かある。

ブイヤベース憲章は1980年、質と伝統の味を守ろうとするマルセイユのシェフたちによってつくられた。定められた魚から最低4種類は使う/魚は客の前でカットする…などのルールがあるそうな。世界三大スープのひとつ。

前菜(アミューズとシェフからの一品)

ピザ生地にトリュフのスライスをのせたもの。ありがたくいただく。

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濃厚な魚のムースに野菜系をのせたもの。
(これは旨い!)

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アスパラとオマール海老のクリームスープ
(これはあまりの旨さで仰け反る!)

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さてさて、ブイヤーベースの登場。

まず「こんな魚でスープをとりました」と見せにくる(1人前)。本来は生の魚をみせる筈だが、何故か調理済みのやつ。ここで期待値半減だなw

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次に具のない魚のスープが出てくる。
マルセイユのブイヤーベースは香り高い。

カリカリのCroûton(フランスパンの薄切りがカリカリになったやつ)に、Rouille(生ニンニク)をすり込み、サフランで着色した伝統的なアイオリ(ニンニク入りマヨネーズ)が添えられているので塗り、スープに入れてスープを吸わせていただく。

カジュアルな店では摺り下ろしチーズも添えられているが、これは邪道(←好きだけど)。

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伝統的なブイヤベースには少なくとも4種類の地中海産の魚を入れなくてはならない。一般的なブイヤーベースではカサゴ、アナゴ、ホウボウ、マトウダイなど(季節で代わる)。これに生トマト、じゃがいも、生のフェンネルを加え、ペルノ酒(アニスの香り)を入れて煮る。

最後に先程の魚の身が出てくる。魚の身と骨を分けてくれている。出汁をとったあとの魚なのでパサパサしている。はっきりいって旨くない。じゃがいもは旨いけどw

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コーヒーで終了。

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美味しい?

・・・と聞かれれば「美味しい」と答えるが、本当に美味しいのは3口目くらいまで。次第に濃厚な味と塩気の強さが際立ってきて飽きてしまう。

ブイヤベースを頼むくらいなら、同じスープを使って出されるSoupe de Poisson(魚のスープ)の方が値段は1/3で済むし、こちらの方が断然いいよ。だってスープに旨みが全部出てしまっているもん。。。

Soupe de Poisson(魚のスープ)で充分さ!



三日目、マルセイユはイフ島で会ったワンホリの女子学生さんとランチ。

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(マルセイユ旧港沖合にあるイフ島Château d'If:要塞としてつくられたが1890年まで牢獄になる。ミラボーやサドが投獄されたが、なんといっても1844年に出版されたアレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の中で主人公のエドモン・ダンテスが収監された場所として有名になった)

ガレー船の倉庫跡。アンティークな本棚&書籍に囲まれた中で食事するプロヴァンス伝統料理を供するレストラン。オサレだわ〜

Les Arcenaulx
Cours Honore d'Estienne d'Orves, 13001 Marseille



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女子学生さんは(カジュアルな)ブイヤーベースを頼んだので撮影。魚の具無しスープを省いていきなり魚入りブイヤーベースが出てきたが、これで充分だわ・・・味もいいし☆

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なお、私は「魚のスープ」に、プロバンス風の生挽肉の料理。

邪道と言われようが、おろしチーズに生ニンニクを入れ込んだアイオリの組み合わせは最強ですね。うんまい、うんまい。食べ過ぎるとお腹がエライことになるけど。

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プロバンス風の生挽肉の料理。生の牛挽肉に玉ネギやケッパー、トマトやハーブ類を入れて練ったもの。意外とパクパクと食べられてしまう。

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ワインが進む〜



おまけ。

コルシカ島は南端にある城塞都市ボニファシオで食べた(カジュアルな)ブイヤーベース。

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イカも蟹も入った「ごった煮」だが、これはこれで美味しい。でもぼったくりに近い値段の高さだった(五千円近くする)ww


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テーマ : ★フランス旅行★
ジャンル : 旅行

スペイン13:バルセロナ(市場・野菜他)

サン・ジョセップ市場(ボケリア市場)Mercat de Sant Josep
Las Ramblas 95

歩いているだけでも楽しい食材市場!

市場には屋内と(小さなスペースの)屋外がある。屋外は野菜売り場。形や見てくれは悪いけど、味の良さそうなモノが揃っていて、かなーーり盛況。

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肉売り場

精肉や生ハム系など豊富。非常に清潔でお洒落な売り場。

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野菜売り場。

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その他…

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(オリーブ屋)

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(チーズ)


総菜、観光客向けの食材屋も少なくない。

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食事時になると、市場内のバルは混雑する。
食のレベルはまあまあ。

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やっぱり、市場のチェックは外せません☆



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テーマ : バルセロナ旅行
ジャンル : 旅行

スペイン12:バルセロナ(市場・魚)

サン・ジョセップ市場(ボケリア市場)Mercat de Sant Josep
Las Ramblas 95

歩いているだけでも楽しい食材市場!
クォリティーが高い。

市場内にバルがある。特に魚介類のタパスは安くて標準以上のおいしさなのでお勧め。

帰国する前日の8時過ぎ(出勤前)、買い物袋を持って買い出しに行ったら、完全に地元民と間違われて呼び込みが凄かった(笑) 15時以降は閑散とする。

ここの市場は魚類が充実している。

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スペイン人も甲殻類・貝類が大好き。

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魚は種類が豊富。さすがは地中海!

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南欧料理に欠かせない鰯。

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エイも食べます。

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地中海と言えば「マグロ」

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刺身用の販売まである(笑)
しかも醤油に割り箸付きで2.5ユーロ。

旨い!

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アンコウはフツーの日常的な食材らしい。

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そしてイカ・タコ!

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干し鱈も大好物。

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この乾物・・・コワイ

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こんだけ食材が豊かなんだから、美味しいモノにありつけるのも納得☆



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テーマ : バルセロナ旅行
ジャンル : 旅行

スペイン11:バルセロナ(典型的なタパス)

セルベリア・カタラナ Cerveria Catalana
住所:c/ Mallorca, 236 (Rambla Catalunya)

会議で親しくなったスペイン人(男前ではないが好男子)の行きつけのバルに連れて行ってもらった。22時に店に行ったら大混雑。そいやスペイン人は21時過ぎから晩飯えを食べるのだった…

典型的なバルセロナのお洒落なバル。
「ここのタパスは旨い」そうで。

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カウンターには、完成品のタパスと材料展示の2種類がある。当然、メニューあり。

まずビール!
そしてオリーブ&アンチョビ、脂身の少ないハモン・セラーノを。

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おお、美味しいではないか。

目の前にあった茄子を頼んだら、茄子の挽肉乗せオーブン焼きになって出てきた。別オーダーの小さいアスパラ焼きもなかなか美味しい。ビールが進むなぁ。

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Jamon Iberico Bellota
やっぱハモン!脂身万歳〜
パン・コン・トマテに生ハムの最高級品Jamon Iberico Bellota

贅沢!

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ビールばっかりでは芸がないので、「そいやサングリア sangría を飲んでいなかった」ことを思い出し、注文。これがなんとも旨い。

この店では、赤サイン(Siguroらしい)に天然オレンジ果汁、オレンジの輪切り、シナモンスティックを入れたもの。アルコール度数を上げて欲しかったのでコアントローを入れてもらった(氷で薄くなるので)。

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カバ(発泡性白ワイン)で作ったサングリア・ブランカもなかなか美味。


「帰国したら自分で作ってみよーかな」なーんて言ったけど、まだ作っていません(苦笑)


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テーマ : 旅グルメ
ジャンル : 海外情報

スペイン10:バルセロナ(7 Portes)

セッテ・ポルタス 7 Portes
(住所:Pg. Isabel II, 14)

バルセロナを紹介するガイドブックに必ず載る店。

坂本龍馬が生まれた1836年創業で、ピカソやダリなど芸術家や政財界の重鎮も通う店。「7つの扉」をがあるこの店の建物は歴史建造物に指定されているそうだ。

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日本のスペイン料理のオーナーシェフT氏や、会議で知り合ったスペイン人ら複数より、「老舗で超有名な店なのにエラそうな態度を取らず、米料理が旨く、特にパエリアはお勧め。ひとりで行っても嫌がらない。絶対に行くべし」との推薦があったので、一人で行ってみた(最終日は休暇日なので単独行動中)。

13:00開店なので13:15頃に行ったら、奥の幾つかの部屋(ドレスコード有り)は満席だった。観光客というより地元の中〜上流階級のお客さんが多数。

私が通された部屋は、お気軽な少人数客が多く、一人で来店している地元の老人も少なくない。ヨレヨレの服装でなく小綺麗な格好ならOKな手軽さ(夜は別だが)。それでもreserveの札が乗っているテーブルの多いこと!

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アンコウのスープ

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(赤ワインについてきた小さなオリーブが美味!)

塊のアンコウ肉、ほぐれたアンコウ肉がたっぷり。
サフランの香りが効果的。

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海鮮パエリア Paella con mariscos

「2人前からでお願いします」という店が多い中、ここは1人前でも問題なし。実際、地元客は1人1皿を頼んで食べ比べしていたし…ね。

ウエイターが炊きあがったパエリアを持ってきて「どお?炊きあがりに問題ない?」って、見せられる。見せられたところで何処がダメなのかも言えないけど、香ばしさで思わず " sí (シ)=Yes"って言ってしまった。

するとウエイター氏は白い皿に取り分けてくれる。

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ロブスターの半身もどーん!

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濃厚〜
米に粘りがある。

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なかなか〜うんまいッ!


ここのパエリアは濃厚なリゾットっぽく、出汁をたっぷり吸い込んでいてとてもジューシー。ただこの出汁が海鮮とチョリソーから出ているのか、「パエリアの素」みたいなやつで炊いたのかは定かではないけど、やっぱり旨い。

注文に沿って選んでくれた赤ワインとも相性バッチリ。

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これが2皿目に相当する。

食べましたがな。味付けが非常に濃いのでまたまたワインが進みます〜

※「塩抜きで=Sin Sal(シン・サル)」と注文すれば大丈夫。忘れて塩辛いのを持ってきても作り替えてくれる。

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大満足。


ちなみに仕事で知り合ったスペイン人達のお勧めは、イカ墨ごはん Arroz negro de "l'Emporda" (イカ墨ごはんはパエリアとは言わないらしい)、"スペインのブイヤーベース「サルスエラ」だそうで。こりゃー次回の楽しみだ。

値段は安くは無いけど堅苦しくなく、サービスも料理も素晴らしい。

毎日行ってもイイ!
とりあえず、メニュー制覇(目標)


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テーマ : 旅グルメ
ジャンル : 海外情報

スペイン9:バルセロナ(バスク伝統のピンチョス)

エル・シャンパニェト El Xampanyet
住所:c/ Montcada 22

先に紹介したイラティ Irati がバスク地方の創作系ピンチョスを出すバルだが、こちらは伝統的なバスク地方のピンチョスを出すバル。

各国のガイドブックに必ず載る名物店だが、観光客に媚びない頑固さがこれまたイイ!

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この店では、オリジナルのシャンパニェト(白ワインの炭酸割り)でいただく。

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最高デス!


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夜の部会の前に立ち寄っただけなので、軽めに。

こんな店が近所にあればいいのになぁ…


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テーマ : バルセロナ旅行
ジャンル : 旅行

スペイン8:バルセロナ(305cm榴弾砲)

1779年、モンジュイックの丘に要塞として築かれたモンジェイック城(原型は1640年)に、「28サンチ砲(二十八珊砲/二十八糎砲)がある」という噂を聞きつけたので、長い昼休み時間に行ってきた。

28サンチ砲(二十八珊砲)とは…

日露戦争に実戦投入された砲。

1884年(明治17年)、大日本帝国陸軍の大阪砲兵工廠が、ドイツのクルップ社の榴弾砲を原型とした「イタリア式28cm榴弾砲」を参考に試製した「国産」の榴弾砲。射程距離は約7,900mで1887年より量産に入った。東京湾や広島の海岸に、海からの攻撃に備えた「沿岸砲」として配備した。

さて…日露戦争時、大日本帝国陸軍(満州軍所属第三軍)は、旅順港を見渡せる旅順要塞(東鶏冠山北堡塁や松樹山保塁など)に籠もってなかなか出てこないロシア軍に手を焼いていた。大本営も満州軍も海軍も旅順要塞を甘く見ていた経緯もある。

第一回総攻撃(明治37年8月19日〜24日):満州軍所属第三軍は、旅順要塞主防御線の外側に位置していた203高地に進軍する。目標設定は「東鶏冠山保塁」。ロシア軍は強固な堡塁からロシア兵を逐次投入したため大激戦になり撤退した。

当時、旅順要塞に籠もっていたロシア兵はおよそ44,000名+軍属他7,000名+(先の黄海海戦で戦力喪失の)海軍将兵12,000名。対する日本軍は約51,000名。日本軍のは戦死5,017名/負傷10,843名。ロシア軍は戦死1,500名/負傷4,500名だった。

第一回総攻撃に失敗した現場の要望に応えて、東京湾要塞および芸予要塞にある巨大な沿岸砲の28サンチ砲(二十八珊砲)の戦線投入を決定する。

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米ヶ浜砲台6門(横須賀市)と箱崎高砲台8門(横須賀市)の14門、更に芸予(広島県・大久野島)の4門を追加して、最終的に(第三回総攻撃までに)18門。なお砲弾のストックは潤沢にあったため、新たに作らなくても良いメリットもあった。

9月14日、まず6門を旅順要塞攻略のため(コンクリート天蓋陣地内の敵兵員を制圧させる目的)、王家旬子・團山子・鄧家屯諸砲台へ2門ずつ配備。重砲兵は砲床構築を9日で完成させ(通常は三週間)設置完了は9月22日。砲台の工事は基本的な土木工法と併用して、ショックを和らげるため、大ぶりの角材を敷き詰めていた。残る12門は碾盤溝・石板溝・叢家荀子南方高地へそれぞれ4門ずつ配備した。

第一回総攻撃終了後の9月30日。占領した南山披山を観測点として、28サンチ砲を用いて旧市街地と港湾部に対して砲撃を開始。旅順港内に停泊しているロシア海軍旅順艦隊(第1太平洋艦隊)に命中弾を与え損害をもたらしたが、そもそも先の黄海海戦の負けで戦力喪失していたため、ロシア軍の士気に与える影響は少なかったらしい。

だが28サンチ砲を配備した第二回総攻撃(明治37年10月26日〜30日)。目標は「盤竜山及び竜眼北方保塁の周辺を占領」だったが失敗に終わる。

そして第三回総攻撃(明治37年11月26日〜12月6日)。11月14日の御前会議で「203高地主功」を定めたのに、満州軍総司令官大山巌元帥は拒否。兵力を増強して目標は「東鶏冠山北堡塁と二竜山堡塁の確保」。

これも失敗に終わろうとしていた11月14日。203高地主攻に固執する参謀本部と第3軍司令官乃木希典の主張どおり「203高地主攻」が決定。だが頼みの28サンチ砲は203高地の泥に刺さるだけで効果は少なかった。

12月1日から3日間で、攻撃部隊の再編、12センチ榴弾砲15門と9センチ臼砲12門の陣地変換を行う(司馬遼太郎はいづれも満州軍総参謀長児玉源太郎の発案と書いているが間違い)。

12月4日早朝、砲術には素人の児玉源太郎の指導(諸説あり)で「24時間15分間隔」で203高地に援護射撃を加えた。ただし28サンチ砲は後方陣地にいて203高地攻撃に直接寄与しておらず、主に集中砲撃を行ったのは12センチ榴弾砲と9センチ臼砲の十数門だった。それでも28サンチ砲が12月5〜9日の5日間に打ち込んだ砲弾は約1,250発(命中弾は158発)。

この集中火砲は、防備が未成な203高地(ロシア名:ヴィシソースカヤ山)にこだわるロシア軍に大打撃を与えた。ロシア軍は死守するために、旅順要塞に籠もっていた予備兵力もロシア海軍旅順艦隊の水兵も投入したが、12月5日の深夜に日本軍は203高地を完全占領した。

ロシア軍は「ドイツのクルップ社の榴弾砲」を原型とした28サンチ砲を使っていた。ロシア陣地の黄金山砲台にある28サンチ砲はほぼ同じ規格の砲弾を使っていたため、日本軍が打ち込んだ不発弾をロシア軍が拾い、47mm速射砲用信管を付けて撃ち返していた。

ロシア海軍は、203高地の戦いで兵を持って行かれ極端な兵力不足になったため戦いにならず。旅順湾に停泊するロシア海軍旅順艦隊(第1太平洋艦隊)はほとんどが自沈して全滅した。

実は28サンチ砲の信管は「経年劣化」で戦艦に対する破壊力はさほど出ておらず、打ち込んだ砲弾は船底を突き破る事はできなかった。戦艦ペレスウェートに命中した28サンチ弾の27発のうち、不発が11発・はじき飛ばされたのが2発・残りが炸裂という具合。ただし威嚇的な意味での砲弾を降らせることには成功している。

203高地を完全制圧され「兵員不足」で、旅順要塞の守備もままならないロシア軍。

12月10日、東鶏冠山北堡塁への総攻撃を開始。12日、日本軍が打ち込んだ28サンチ砲弾は堡塁の厚さ60cmのコンクリートを突き破り、運悪く「勲章授与/将兵を激励する為に視察」に訪れていたロシア軍屈指の名将のコンドラチェンコ少将に命中して戦死する。その死でロシア軍将兵は士気が大きく低下したと言われる。

ロシア軍の主要堡塁;東鶏冠山北堡塁と二竜山堡塁、松樹山堡塁は「玉砕」に近い形で次々と陥落していく。翌年1月1日16時半、ロシア軍は降伏した。日本軍は戦死5,052名/負傷11,884名。ロシア軍は戦死5,308名/負傷者は12,000名近く。旅順包囲線全体では日本軍の投入兵力は約13万名、死傷者は約6万名に達した。

そして日露戦争の最後の戦い「奉天会戦」に、旅順から奉天(瀋陽)郊外にこの28サンチ砲6門を移動させ、総計16,940発を発射させて(命中度はともかく)勝利に導いた。




地下鉄Paral-lel駅からバルセロナ地下鉄が運営するフニクラ Funicular(ケーブルカー)に乗って、モンジュイックの丘の中腹に行く。

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ここでゴンドラに乗り、山頂にあるモンジュイック城に行く。

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城からバルセロナ市内が一望!

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(標高173mからの景色:サグラダ・ファミリアは一際高い)

で、モンジュイック城 Montjuïc

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バルセロナ防衛のための要衝として機能。19世紀より刑務所として使われ、フランコ政権下では多くの反政府活動家が処刑された。フランコ政権が崩壊後、バルセロナ市の所有となり1960年に軍事博物館として開館した。

その要塞内に入る手前に、噂の大砲があった。
しかも3門も!

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「これかぁ!日露戦争で活躍した28サンチ砲は!」と思って感慨深げに見たが・・・


ん?


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305mm砲だった…


30.5サンチ砲…
口径が違うじゃん…

ただ、当時の写真と見比べると、砲座・砲身の長さは違うものの基本構造はよく似ている。

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(現存する28サンチ砲はない)

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(日露戦争後に満州に配備された28サンチ砲)



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落胆するものの、砲弾の装填は後装式(付属のクレーンで水平に吊り上げた砲弾を人力で押し込んで装薬を入れる)は同じ。

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なるほど、なるほど。

雰囲気はよーくわかったのでヨシとするか。

とりあえずモンジュイック城に入ってみる。

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第二次世界大戦時の大砲が数門ある(1932年前後)。

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これは余り感心がナイ・・・

当時の写真はこちら

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おっ!
下を見れば・・・


305mm砲(30.5サンチ砲)


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美しい・・・



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スペイン7:バルセロナ(アンダルシアのタパス)

カニュテ CAÑETE

バルセロナの地下鉄リセウ駅近くにあるアンダルシアのバル。最近、地球の歩き方に載ってしまったけど、最初にバルセロナに行った時から贔屓にしている老舗。英語(日本語)のメニューなんぞあるわけもない、極めて地元度の高いバルですワ。

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カウンターに座ると目の前に新鮮な魚介類が並ぶケースがあり、日本の寿司屋のよう。でも肉料理も美味しい。そしてここの地ビールがこれまた美味しい。ベルギービールのHoegaarden Whiteにコクを加えたようなビール☆

ズッキーニーのから揚げ。

カリッと素揚げにし、オリーブオイルとバルサミコ酢(?)のようなものを掛けただけの肴。ビールが進みまくる!

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パン・コン・トマテ pan con tomate

軽く炙ったフランスパンを横に二つ切り(スライス)にし、にんにくと完熟トマトをこすりつけ、オリーブオイルと塩をふりかけただけ。カタルーニャ地方の郷土料理。この店のやつは最高級に美味しい。

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白身魚とアスパラガスの蒸し物

ヒラメっぽい魚を「食べたい」とリクエストしたら出てきた料理。塩味とオリーブが絶妙。生卵を軽く崩して調味料のようにつなながらいただく。是非とも再現したい料理。

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大豆とヒイカの煮物

和風でもありそうな料理だけど、ここはスペインなのでオリーブオイル。そしてバルサミコ酢を軽く回しかけたもの。火加減が絶妙、イカの出汁がふっくら大豆に染みこみ、なんとまあ優しく美味しいことか。

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メインは・・・・

大きくスライスしたフランスパンの上に、レアに焼いた熟成牛ステーキ。その上にフォアグラのソテーをのせたもの。高カロリーの二乗みたいなゴージャスなタパス。

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至福♡



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スペイン6:バルセロナ(カサ・ビセンス)

カサ・ビセンスCasa Vicens
(住所: Carrer de les Carolines 24)

ガウディ Antoni Gaudi は1978年に設計を始め(同年に建築士免許取得)、1883年から1888年にかけて手がけた初期の作品。一人前の建築士としての処女作。カサ・ビセンスはタイル製造業者マヌエル・ビセンスが発注した邸宅。

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石とレンガの混構造。施主の工場で焼いたタイルが外壁を彩ったこの邸宅は、スペイン独自のムデハル様式(キリスト教建築とイスラーム建築の融合)とアルハンブラ宮殿の影響を受けた作品。

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LEGOで作ったかのような邸宅。

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建物に使用した外壁・内装のタイルの数は膨大で、かつ、絵タイルはカタルーニャ地方の植物をデザインした。タイルが全て揃うのに6年余。この影響でビセンスの工場は傾きかけたが、館が完成すると大評判になって、経営は元通りになった(笑)

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家が建つ前、この敷地には黄色い花が咲いていたそうな。

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フェンスの鋳型はガウディの知人の彫刻家ロレンソ・マタマラによるもの。シュロの葉がデザインされている。これはグエル公園の入り口のフェンスと同じ。

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建物は1925年の増改築で倍以上の規模となったが、広大な敷地は、道路拡幅や代替わりで縮小された(現在の姿)。2000年から2004年にかけてこのタイルの修復を含めた工事が行われた。

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1927年にはバルセロ市庁によって最優秀建築に選ばれ、2005年にはユネスコ世界遺産にも指定されたカサ・ビセンスは「個人の邸宅」なので、内覧は基本的に出来ない。

実は…2007年10月から絶賛売り出し中。言い値は3,000万ユーロ。

詳細はコチラ(室内写真や断面図もあり→
http://www.casavicens.es/(日本語対応)

観光客が絶えず、家を覗かれて・・・住むのは大変だろうなぁ。


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テーマ : バルセロナ旅行
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スペイン5:バルセロナ(サグラダ・ファミリア)

バルセロナといえばサグラダ・ファミリア聖堂 El Temple de la Sagrada Familia ってなくらい有名な(建築中の)カトリックの教会。サグラダ・ファミリア=聖家族…の意味。
http://www.sagradafamilia.cat/sf-eng/docs_serveis/arxiu.php?lang=0

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(ポスター;完成予想図)

民間カトリック団体のサン・ホセ協会が、全てを「個人の寄付」で建設される贖罪教会として計画。まず建築家ビリャールが無償で設計を引き受け、1882年3月19日に着工した。だが意見の対立からビリャールは辞任し、無名の建築家だったアントニ・ガウディが二代目建築家に就任。

ガウディは設計を最初からやり直した。1914年からはここの建設に専念。彼は仔細な設計図を残していない。生前時も大型模型・紐と錘を用いた実験道具を使って構造を練ったようだ。献金集めにも奔走しながら志半ばの1926年に路面電車に轢かれ亡くなった。

ガウディの死後、ガウディの構想に忠実なモノは出来ないため、建造を続けるべきかという議論があった。しかもスペイン内戦でガウディの模型は壊され、弟子等が作った資料等の大部分は消失した。

だが職人による伝承、わずかな資料を元に、様々な建築家が「ガウディの設計構想を推測して」現在も建設が行われている。2010年には祭壇部分が完成したため、ローマ法王を招いてミサが行われた。その一方でガウディ自身が手がけた「生誕のファサード」は薄黒く変色した上に修復が必要になったので、同時並行でこの作業も行っている。

完成まで300年はかかると言われた。だが入場料収入とお布施が順調に集まり、重機とクレーンを大量に投入して工事用エレベーターの取り付けた等で、工期が大幅に短縮されて2026年に完成する予定(ガウディ生誕100周年)。ちなみにドイツのケルン大聖堂は、完成までに600年かかっている。

余談だが、実はサグラダファミリアの建設は、行政に届け出を出していない工事だった(違法建築)。これは2006年に聖堂の直下に高速鉄道AVEのトンネルを掘削する計画の過程で発覚した。バルセロナ市当局が建築を超法規的に認めた(苦笑)



サグラダ・ファミリアの建設は、1年経つとだいぶん変わってくるので、行くたびに写真に撮っている。

今回は2012年5月現在の「一周写真」を載せてみる。

西側の「受難のファサード」から始まりまーす。

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西から南へ。

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南から東の「生誕のファサード」へ向かいマス。

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東の「生誕のファサード」

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東から北へ。

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北から西へ(戻る)。

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次回、訪問予定は今年の秋。



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テーマ : バルセロナ旅行
ジャンル : 旅行

スペイン4:バルセロナ(スーパーマーケット)

スペインは昔ながら市場(小売りの集合体)が主体だが、数は多くないもののスーパー(カルフール等)もある。スーパーは22時頃までやっていて便利。深夜営業はバルセロナだとインド系の食品を扱う何でも屋がコンビニの役目を果たしている。

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肉系売り場がえらく充実!

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チルドのピザも充実していた。欧州ではもはや国民食デス。

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スペイン3:バルセロナ(バレンシア料理1)

この日は昼食時間まで仕事が食い込み、出遅れてしまったので、ひとりで街探索することにした。

地球の歩き方で「おひとり様でもパエリアが食べられる店」をみつけたので行ってみた。日本語メニューもある店だが、地元民も多い。

ひとりなのでCava(カタルーニャ地方ペネデス地区で生産するワイン)はハーフボトル。付け出しのオリーブの塩漬けが美味しい。

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燻製にしたタラのカルパッチョ

フツーだったw

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ロブスターのアロス・カルドソ Arroz caldoso

パエリアというか雑炊。

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サフランの黄色とロブスターの赤がまことに美しい。米は見事なアルデンテ。

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かなーり美味しい!
思ったより胃に優しい雑炊♬
でも18ユーロくらいした気がする…


Castell De Xativa
Valencia, 360
13:00-16:00/20:30-23:00




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テーマ : 旅グルメ
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スペイン2:バルセロナ(ガリシア料理)

「今日の昼、ガリシア料理のBarに行かない? 旨い店を知っているんだ」

・・・とは、同僚のカタルーニャ出身のスペイン人のおっさん。

かつて、バルセロナの中央郵便局近くに安くて旨いガリシアのBarがあったけど閉店しちゃって、バルセロナに行ってもガリシア料理を食べていないことに気づく。ガリシアGaliciaとはスペイン北西部にある地域で、南はポルトガル、東はバスク地方。

スペインでの会議は昼休みが3時間もあるので、多少の郊外でも新市街でもOKなのが嬉しい。

地下鉄L3のPalau Reial駅下車。路面電車Light Rail Transit(T1〜T3どれでも可:いづれもFrancesc Macia行きとは反対に行く)Pont dEsplugues駅下車。目の前。

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スペイン人は仕事中の昼休みにもワインを飲む(酔いなんかすぐ冷めるからねぇ〜)。

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(ガリシア地方の白ワイン)

ガリシア料理と言えば「タコのガリシア」Pulpo a la gallega

タコは固くなく歯ごたえがあってジューシー。茹で具合は最高!冷えても旨さが持続するってスゴイ。

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ラコンのコロッケ croqueta de Lacon

ラコンとはガリシアのハムだが、豚肉を蒸して作るので生ハムとは異なる。なんとも味わい深いコロッケ。

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マテ貝のニンニク焼き Navajas a la plancha

中国でも海鮮料理屋で出てくるが、ガリシア地方では、オリーブ油にニンニクとパセリ、塩のみで味付ける。シンプルで臭みがなくクリィーミーで絶品!

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アサリの白ワイン蒸し Almejas a la marinera

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ああ・・・美味しい


これだけ食べて飲んで総計55ユーロ。

こりゃー、バルセロナに行くたびに通いつめるな。。
地元度が非常に高い店でした。



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Meson a Cada da Veiguela
Carretera Cornella, 4




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スペイン1:バルセロナ(バスクの創作系ピンチョス)

夕方、南仏ニームからTGVでスペインはバルセロナへ移動(所要4時間弱)。

翌日から鬱な会議があるので、到着早々に行きつけのバスク地方のバルで、ビール片手にピンチョスpintxoを喰らい、景気づけ。バル Bar とはスペイン圏では酒もコーヒーも出す軽飲食店を指す。


イラティ Irati
住所:Cardenal Casanas 17

バスクの創作系ピンチョスを出すバル。

ピンチョスとは、小さく切ったパンに少量の総菜が乗った一口サイズの小料理。食材を串や楊枝でパンに刺して留めていないもの、スプーンに乗せたものもピンチョスと呼ぶ。

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大きな皿をもらい(飲み物を注文し)、食べたいピンチョスを取る。ナイフ・フォークが必要なく、楊枝の数やマークで料金を払うシステム。1つ1.8ユーロくらいだったかなぁ(物価がどんどん上がっていマス)。明朗会計!

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色彩がすばらしい!

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私が食べたのは下記のやつ。
(1皿で1回分=3ピンチョスが私の基本。夕方とか深夜とか食べに行っていました)

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ああーーうんまい!


手前の立ち飲みカウンターに並ぶピンチョは50種以上(100種前後のレパートリーあり)。奥にはテーブル席あり。こちらはコースメニューやアラカルトの客専用。

ここのピンチョスを食べたいので、わざわざ地下鉄リセウ駅近くのホテルにしたわけ。ここ数年、ガイドブックにも載ったので観光客も多い。とーーてもお気楽な店。


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フランス18:大統領選ポスターとか

私がフランスに行く数日前、2012年5月16日に任期満了するニコラ・サルコジ大統領の後継大統領を選ぶ選挙があった。

18歳以上のフランス国民には大統領選挙の被選挙権資格があるが、最低でも500名の推薦人(市町村長、欧州議会議員、国会、地域圏議会等の議員)署名を提出しなければならない。3月19日の憲法会議で10名が正式に候補者として認定された。

大統領選挙のスケジュールは下記の通り。

2012年
2月25日 - 選挙実施を宣言 
3月16日 - 立候補支持署名最終期限(500名以上)
3月19日 - 立候補が認められた候補者リスト発表 
4月09日 - 選挙運動開始
4月20日 - 選挙運動終了
4月22日 - 第1回投票
4月25日 - 開票結果発表
4月27日 - 第2回投票の候補者リスト発表
5月06日 - 第2回投票(決選投票)
5月10日 - 開票結果発表
5月16日 - ニコラ・サルコジ現大統領の任期満了

主な立候補者:(社会党)オランド氏、(国民戦線党)ルペン女史、(民主運動党)バイル氏、(国民運動連合党)サルコジ現大統領。

4月22日、第1回投票が行われ、社会党のオランドが1位となったが、得票率は過半数未満の28.63%だったため、オランドと2位の現職サルコジが決選投票へと進んだ。

5月6日の第2回投票で、オランドが51.67%の得票で初当選(17年ぶりの社会党の大統領が誕生)

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第2回投票(決選投票)

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フランス共和国第五共和政第7代大統領フランソワ・ジェラール・ジョルジュ・ニコラ・オランド François Gérard Georges Nicolas Hollande

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セーヌ=マリティーム県ルーアン出身。父は耳鼻咽喉科医師、母はソーシャルワーカー。先祖は16世紀頃オランダから来た移民でそれが家名の由来という。

パリ政治学院で法学士の学位を取得→パリのHEC経営大学院(HEC)に入学→社会党に入党→1980年に超エリート養成校のフランス国立行政学院(ENA)を7番目の成績で卒業、フランス会計監査院に就職するもミッテランの参事官(政策スタッフ)になり、1983年より政界入り。常に相手の話にうなずきながら真綿で首を絞める手法で政敵を排除。十年以上、社会党の党首を務めている。

ヨメさんのヴァレリー・トリエルヴィレールは未入籍(Pacte Civil de Solidarité 民事連帯契約済み)。前のパートナーは社会党所属の政治家ロワイヤル女史との間に4人の子供がいる。調整力と交渉力が抜群で、その容姿も加味した渾名は「マシュマロ」とか「森の木イチゴ」。

ただ前のパートナーのロワイヤル女史とは、前々回と前回の社会党大統領選候補者で争っている。前回の候補者争いでオランド氏は出馬を断念して2人の関係を解消した。サルコジが仕掛けたと噂される、(社会党の)大統領最有力候補者ドミニク・ストロスカーンIMF前専務理事が、強姦未遂等の容疑で逮捕された事件後の党内混乱の中、今回も彼女と争い、オランド氏はついに大統領選候補者となった。

一方、落選した現職のニコラ・サルコジ氏。

父はハンガリーの下級貴族系列、ギリシャ系ユダヤ人を母に持つハンガリー移民2世の子供(本人はカトリック信者)。母と母方の祖父に育てらた貧しい少年時代だった。兄と弟は学術優秀だが、本人の成績は悪く中学と高校では留年している。

大学入学資格(バカロレア)を取得してナンテール大学(パリ第10大学)に入った。パリ政治学院に籍をおいたが英語がネックで終了できず。大学在学中にシラクの結成したRPRに入党。弁護士資格を取り不動産専門の事務所を開設。ワンマンで強権的なサルコジは様々な軋轢を生み出したが、逆に国民の支持を得た。

サルコジの大統領時代は、新自由主義的な「もっと働き、もっと稼ごう」というスローガンを掲げていた。「フランス経済の足枷は寛容すぎる社会保障」ということ。だがこの新自由主義政策によって格差が拡大し、絶対的貧困層が発生してしまった。

景気は下がる一方で失業率は一向に下がらず、特に若者の就職難は続き(自身は高級住宅地住まい)。移民や低所得層を馬鹿にした発言で顰蹙を買う。公立学校の教職員数をどんどん減らし、パリの小学校では1クラス20人が今や35人。中流家庭では子供を私立に転校させるケースが倍増・・・・

贅沢三昧で派手な私生活を続けたサルコジの人気は急落。

他の候補者は、私の上司(フランス人)に言わせれば「どれもこれもパッとしない」そうで。ただし公約だけは全員立派なことを言うのがフランス流。

社会党のオランド氏は教育分野に6万ものポストを新設、退職年齢を60歳に引き下げ、2025年までに電力の原子力依存を50%まで削減・・・増税するんか?

フランス国民は「サルコジ政権に嫌気。オランドを特に支持したわけではないが、サルコジよりはマシだろう」ってなわけで、「サルコジの再選は危うい」という噂通りになった。

こういう事情なので、第2回投票(決選投票)で大統領がオランド氏に決まったら、オランジュの町では「NON!」の張り紙がベタベタ・・・・



南仏のローカル列車内にて。

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自転車の前輪をフックにひっかける方式。写真の自転車はお婆ちゃん未満のおばさんのやつだったが、さすがにフックから外すのは往生こいていた。



景観を気にしているのでマクドナルドも地味。

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それにしても欧州には何台のメリーゴーランドがあるんだろう。どんだけメリーゴーランド好き?

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以上、フランス・・・終了。



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フランス16:オランジュ(凱旋門)

オランジュの凱旋門 Arc de Triomphe

紀元前20年頃(紀元前25年など諸説あり)、ガリア戦での勝利とアウグストゥスによるパクスロマーナ(ローマの平和)の実現の記念碑として、アルル(アルラテ)とリヨン(ルグドゥヌム)を結ぶアグリッパ街道の途上(オランジュの北の入り口)に造られた。現在はラウンドアバウトの中央部分にある。

高さ19.21m横19.57m奥行き8.4mの凱旋門には、闘士の描かれた小壁のレリーフ、2つの戦いのシーンのレリーフなどがシーザーの武勲を讃えたもの。3アーチ式で正面に4本のコリント式の柱が配された典型的なローマ凱旋門。

ちなみに紀元25年はアウグストゥス死去後のティベリウス帝の治世時。当時は正式な凱旋門として認められてなかった。古代ローマ帝国崩壊後、放置されたままだったが、1824年に建築家のオーギュスト・キャリスティーにより、初めての修復行なわれた。

南側よりみる。

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北側の彫刻はほぼ無傷(経年劣化しているが)。

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(戦利品らしい)

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2009年に修復作業が終了した。

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フランス15:オランジュ(古代劇場)

オランジュ Orange は南仏プロヴァンス地方の北の入り口、アビニョンの北約20kmにある。

元はケルト人の町。古代ローマ時代の要所で大いに栄え、12世紀には神聖ローマ帝国内の公国だった。16世紀にこの町を支配したウィレム1世(オラニエ公)の家系(オラニエ・ナッソウ家)はネーデルラント連邦共和国 Republiek der Verenigde Nederlanden(現在のオランダと北ベルギー)の総督を兼ねていた。オランダ王国が建国されるとオラニエ・ナッソウ家が王位に即いた(現在も)。

今は閑散とした小さな町。


大きな地図で見る

この町には、極めて保存状態の良い古代劇場と凱旋門がある。


古代劇場 Théâtre antique

1世紀、アウグストゥスの治世下で建造された。

丘の斜面を利用し半円形で階段状の観客席の収容人数は10,000人程度だったと推測されている。4世紀には劇場は放棄されて廃墟となったが、中世には防衛拠点としても用いられた。隣接してローマ神殿が建っていた(現在は基礎のみ残る)

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(古代ローマ劇場装飾壁と神殿跡)

1825年から修復工事が始まり、1869年の夏から現在もChorégies d'Orangeという名前の芸術祭が開かれている(1902年まではfêtes romainesという名称)。装飾壁のおかげで音響はいいそうだ。

古代ローマ時代の想像図。

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赤い砂岩を積み上げた装飾壁の高さは36m(10階建てビルに相当)で幅は103m。装飾性と音響効果をあげるために壁面は大理石のプレートで覆われていたらしい。

舞台の上には木製の屋根が作られ、劇場全体も日除けの天幕で覆われていた。ただし木製屋根は4世紀に火災で焼失してから野ざらしのままだった。2006年、鉄とガラス板等を使って屋根を行い復元した。

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装飾壁の壁龕(半円形のドーム)にある大理石製のアウグストゥス像(3.55m)は1951年に発見された。この像は、現在はもともと置かれていた場所と推測される壁龕に納められている。

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高貴な客専用の出入り口は少しの階段を上がるだけ。

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地下には何本もの溝があり、舞台の幕を下ろした場所だと考えられている。

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客席:前方に高貴な客が座る。上の段の客席は外階段を使った。

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舞台の両脇は3階建ての大きな空間で、当時は大小の部屋に区切られ、楽屋や衣装部屋として使われいた。

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装飾壁の両脇には搬入口がある。

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上空からみた全体像。
両脇の赤い屋根が楽屋や衣装部屋。

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(絵はがき)

客席の裏の空間は、廊下と(客席上部へ行く)階段、客の休憩室になっていた。

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装飾壁の裏側(車道に面している方)

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舞台での演目は、ローマの栄光と繁栄を伝えるガリアでの闘いなど、娯楽ものが多かったそうな。

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とにかく大きい!


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プロフィール

Harukovsky

Author:Harukovsky
我が家の構成員は下記の通り。
●オカメインコ(全体が黄色のEXスーパーヘビーシナモンパールパイド)♂のハルオ。
●サザナミインコ(ノーマル)♀の鬼嫁みどり。
●サザナミインコ(コバルト)♂の婿殿コバオ。
●人間(快楽主義)♂のオット
●人間(放浪主婦)♀の私
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構成員だった羽衣セキセイ(オパーリンライラック)♂の正男さん、ローラカナリア♂のロロさんは私の実家に出向中。
赤カナリア♂のアカオさんは2011年8月4日に虹の橋へ旅だってしまいました☆

旧ブログ→http://harukovsky.cocolog-nifty.com/blog/

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